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七咲ニコルと六咲コニーを振り返ってみた

前回、茂木監督のコメントから「ひとり」ということに着目し、KARAKURIについて振り返っていきました。
次は、七咲ニコルと六咲コニーについて色々な視点で振り返っていきたいと思います!
AXiSエピソード解禁に向けて、振り返りという視点で見てもらえればと思います!

今回の記事は私だけではなく、「みらいん」と「拓未」の協力もあって、作成しております!
「ブログは一人で書くものだ」という自らにあった暗黙の前提みたいなものを壊してみたいのと、単純に多様な意見を見るのはとても大切だと思いますので!
何か意見をお持ちの方(感想いただけるとめちゃくちゃうれしいです!!!)とかいらっしゃればお気軽に僕に話しかけてくださればと思います!お話しましょうー!

さて、今回は以下の流れで振り返っていきます。

目次
0.人物について考える際に私が前提としていること
1.名前の分析(主担当:みのつば)
2.七咲ニコルが「スマイル」から得たもの(主担当:拓未)
3.コニーさんの立ち位置(主担当:みらいん)
おわりに

※ところどころ、エピソードのセリフを導入しています。色んなところから引っ張ってきているので、もしストーリーを読んでいない方でネタバレを回避したい方は、そのままブラウザを閉じてください。

0.人物について考える際に私が前提としていること(前回のKARAKURIブログと同じです)

私は人物について考え、記事を書く際に前提としていることがあります。

その人が「だれ」であるか述べようとする途端、
私たちは、語彙そのものによって、彼が「なに」であるかを
述べる方向に迷いこんでしまうのである

つまり、その人が他の同じような人と必ず共通にもっている
特質の描写にもつれこんでしまい、タイプとか、あるいは
古い意味での「性格」の描写を始めてしまう。
その結果、その人の特殊な唯一性は私たちからするりと逃げてしまう。”
(ハンナ・アレント『人間の条件』)

人物の描写には、言語不可能な部分があると思います。
皆様にも、キャラクターに対して、言語化できない気持ちだったり想いだったりがあると思います。
その部分は語れないということを前提として、これから考えていきます。

1.名前の分析(主担当:みのつば)

1-1 なぜ名前を分析するのか

これから名前を分析しますが、そもそも何故名前を分析するのでしょうか?

その理由は、茂木監督のインタビューからきています。

”「Tokyo 7th シスターズ」というタイトルはもちろん、キャラクターのネーミングや曲のタイトル、・・・ひとつひとつに意味を込めてたりします。”
(コンプティーク5月号別冊付録Tokyo 7th Sisters OFFICIAL REPORTより)

このような発言から、名前にも何かヒントがあるのではないか?と思い至り、考えた次第です。

ちなみに、これから私が展開する議論に結論は敢えて用意してありません。ただ、疑問を提示して終わるだけのものです。これらの疑問に対し皆様がそれぞれこうじゃないか、など想像していただき、これからのナナシスのストーリーをより楽しむことができる一助になればと思っております。

補足:名前の重要性
今の時代、平気で名刺を交換したりなど特に名前に対して注意を払わないですが、昔の時代、名のることは特別な行為でした。
古代、名前には魂が宿ると考えられていて、男が女に名前を名乗ることは求婚を意味した位です。
(『万葉集』の巻頭歌で、その様子が述べられております。新しい元号である「令和」は、『万葉集』から典拠されたもので、私もそれをきっかけに読み始めたにわかですが、とても面白いです。)
(終)

補足:余白
ブログを書くにあたって、「余白」を意識してます。
過去のエピソードはバリバリ考察をして視点の1つを提供できたらと思うのですが、未確定の出来事はあまり多く提示しないよう意識しています。
色んな想像や妄想できるくらいでとどめ、今後のストーリーを楽しむことを目的にしているからです。
その色んな想像できるくらいにとどめることを、私は「余白」と呼んでおります
(終)

補足:考察者のタイプ
考察者にはいろいろなタイプがおりますが、大きくは2つに分かれると思います。「メッセージを読みとくタイプ」と「未来予測をするタイプ」です。私の過去の考察を読んでいただくと、だいたいは前者に該当することがわかるかと思います。将来こんなエピソードになるだろうと予測することが後者ですね。伏線を解釈してストーリーを紡ぐ行為といえます(ワンピースの伏線考察みるの好きです笑)。
今回、私はどっちともとれるような緩い考察記事になりました。楽しんでいただければ幸いです。
(終)

1-2 論点の洗い出し


さて今回、名前を分析するということで、2つ論点が出てきます。
なので、まず論点の洗い出しをし、その後に個別個別に考えていきたいと思っております。

①七咲ニコルから読み取れること

まずは七咲ニコルです。
この名前、とてもわかりやすく、いかにもニコルらしい!と思うのですが、この名前からどんな論点が洗い出せるでしょうか?

結論申し上げますと、あまりありませんでした笑。
七咲=虹、ニコ=笑顔、などは想像に難くないと思いますが、そこから展開をするのはナナシスの本質を探る行為にもなり難しいかな、と思いました。

ただ、「六咲コニーとの関係性」を考えると、あれ?と思う部分が出てきます。
では早速、六咲コニーについてみていきましょう。

②六咲コニーから読み取れること

さて、次は六咲コニーです。
まずいきなりお聞きしたいのですが、この六咲コニーという名前は誰が命名したのでしょうか?

いや、当たり前じゃん!と思われるかもしれないですが、これ、めちゃくちゃ重要な部分だと考えてます。

恐らく、七咲ニコル(ゲーム外の視点も加えるとゲーム制作陣)ですよね。
自分で名前をつけたという明確な根拠はありませんが、恐らく自分自身だと思います。
(第1話で初代支配人に対し、六咲コニーという名前でいくんだ!っと諭している場面があるため、命名者は七咲ニコルだと推定できます。また、たとえそうでなかったとしても、少なくともこだわりは持っていると思います。)

では、なぜ私はそんな一見どうでもいい質問をしたのか。
それは、七咲ニコルと六咲コニーの関係性を見るとわかってきます。
主にこの名前には2つの関係性が見て取れます。

・ニコルとコニー → ニコを逆に
七咲と六咲 → 7から6にしている

重要なのは二つ目です。
これって、不思議に思われないでしょうか?
命名者の気持ちになって考えてみてください
私だったら、わざわざ数字を1つ下げた6という数字にしないと思うんですよね。それなら8の方がなんとなくいいですし。7を変える必要も本来はないはずですし(2代目支配人にばれやすいなどは置いておいて笑)。
この謎について、後ほど考えてみたいと思います。

ちなみに、コニーという名前についても少しだけ見てみます。
こちらの方は、恐らく七咲ニコルの気持ちというよりも、ゲーム制作陣の意図か、単なる深読みしすぎという部分です。

では、まずはコニーという名前についてさっと見てみましょう!

補足:タロットでの分析
最初、私は2つの関係性を見たときにタロットを思いつきました。
ニコルを正位置とすると、ニコの反対であるコニは逆位置になります。
つまり、「7の正位置→6の逆位置」をあらわしていると考えました。

七咲ニコル=7の正位置
六咲コニー=6の逆位置

ということですね!

その仮説をもとに調べてみました。
タロットには大アルカナ(22枚)と小アルカナ(56枚)があります。
日本では、一般的に大アルカナのみが用いられるとのことですので、そちらから見てみましょう。

7(戦車)の正位置:勝利、征服、独立・解放など
6(恋人)の逆位置:誘惑、不道徳、空回り、空虚、迷いなど

という意味が出てきました。
うーん、7の正位置はいい感じなんですが、6の方がなんだか納得感がない。。。「迷い」はあるかな?とは思いますけどね!

では次に、小アルカナで見てみましょう。
小アルカナの構成は、トランプ(ジョーカー除く)をイメージしていただくと理解しやすいです。
トランプは、数字がA~10まであって、そこから絵柄ありのカードがJ~Kまであり、そして、それぞれがスペードなど4種類の記号で表されています。
小アルカナの場合は、スペードなどではなく棒・剣・コイン・聖杯という記号でそれぞれ数が表されています。
つまり、例えば7という数字を見たい時はトランプ同様4種類あるわけですね。
4種類それぞれ見ていくのはなんだか芸がないと思うので、ナナシスに関係しそうな記号である「コイン」を選択して調べてみました。
(コインの絵柄が星だから)

7の正位置:成果の査定、熟考すべき、成長途中など
6の逆位置:偽善、ありがた迷惑、利己主義など

という意味だそうです。大アルカナよりももっと違う感じ。。。
(一応ほかの記号での意味も調べましたが、うーーーん違うなあって感じでした笑)

ということもあり、この仮説はあまり進めてないです。。。考えすぎですかね・・・何か視点があれば大アルカナだとありえそうだなあとは思ってますが、自分にはこれが限界です。。。
(終)

1-3 コニー

コニーってなかなか聞かない単語ですよね(進撃の巨人にもいますね!笑)。
私もまったく聞いたことありませんでした。

しかし、実はコニーって英単語として存在しているんです。
ご存知だったでしょうか?

Coney : アナウサギ

という意味があります。
アナウサギは、一般的なウサギのことと捉えていただければと思います。
それがどうしたの?と思われるかと思います。

さて、突然ですが、ウサギと聞いてどんな想像をしますでしょうか?

かわいい、毛むくじゃら、触ると気持ちいい、などももちろんあると思いますし私もモフモフしたいですが、「孤独を嫌う(寂しがりや)」って聞いたことありませんか?
(これは迷信で実はそういうわけではなく、あるドラマに使われたセリフが影響しているだけなのですが、迷信の影響力は侮れません。)

さて、ここで角森ロナのエピソード2.5で、七咲ニコルはこう独白しています。

”『アイドルはアイドルじゃなくてもいい』・・・か・・・
 寂しいよぅ。”

そしてもう一つ、前回のブログでご紹介した「六咲コニーというひとりの女の子」の部分。
なにか、ぼんやりと繋がりを感じないでしょうか?・・・

前回のブログにて、「ひとりの形」をKARAKURIの2人により提示いたしましたが、それらも踏まえたうえで改めて七咲ニコル、六咲コニーを見てみると、ぼやっと見えてきたり、感情移入できる部分があるかもしれません。

こっちは深読みしすぎですね!!以上です!!!笑

1-4 七咲と六咲

七咲から六咲に変わったという部分です。

7→6は「7に1を欠く6」という動きと捉えることができます。
この7を基準として6を見る考え方は聖書(及びヨハネの黙示録)によるものです。
聖書によると、

7 = 完全さ、キリスト教内でよく使われる数字
6 = 不完全なもの、神の敵

と考えられています。
ヨハネの黙示録に完全不完全の直接の記述があるわけではないのですが、7はキリストサイドで使われることが多く、6は敵対勢力に使われています。

補足:ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録は全人類巻き込んだバトル小説みたいなヤバイ本です。
色々内容がぶっとんでます。内容の詳細は控えますが、星を落下させたり、人に死ねない苦痛を与えるイナゴが出てきたり、太陽に人を焼くこと許可したり、、、とにかくヤバイです。
かの有名な獣の数字666が使われているのがヨハネの黙示録です。獣は上述しました敵対勢力のことですね。そして、この666の意味は皇帝ネロ説が有力とされています。ネロといえば、ローマ大火の一連の出来事によってキリスト教徒を処刑した人物です。ちなみに、ネロ自体がローマを灰にしたわけではないです。AXiS編楽しみです!
(終)

補足:数秘術など
今回、7→6の動きに着目しているため聖書の考えを採用しましたが、やはり数字に着目しますと、数秘術が考えられると思います。
その中では、6は結びつきや調和、7はひとつのまとまりや探求などの意味があるそうです。
また、数秘術ではないですが、7は孤独の数字ともいわれているそうです(詳細は調べていただければ!)。コニーという名前と踏まえてなんだか意味深な気もしますね!
(終)


さて、7は完全、6は不完全ということも踏まえて考えてみると、七咲から六咲に変えた七咲ニコルの心境が、気になります。
少なくとも、数字の意味どうこうは関係なかったとしても数字を下げているというのは何か意味していると考えてしまいます。
ここからは七咲ニコルの想いや考えを想像するしかありませんですね。
(色々私も考えはありますが、不確定すぎる要素ですので、敢えてこの部分も「余白」にします。自由に想像するのもいいですね!)

とはいえ、このまま終えるのは寂しいので、様々な完全不完全及び類似概念を少し捉えていきたいと思います。
完全ってなんでしょうか?完成ってなんでしょうか?完璧ってなんでしょうか?
(読むのが面倒な方は1-5内の④まで進んでください!)

1-5 完全不完全及び類似概念


①「永久の未完成、これ完成である」 by宮沢賢治

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』にて、

”詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
畢竟 ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである”

と書かれています。
さて、この宮沢賢治の想いはどういうものでしょうか。

宮沢賢治を研究している山下聖実によると、

"その文学と生涯を通じて「ほんたう」を追求していたにもかかわらず、自らの人生を「迷いの跡」と言う賢治は、最後の最後まで悟りを得ることはありませんでした。
もし悟っていたら、賢治は表現活動を続けてはいなかったことでしょう。
迷うこと、問い続けることこそが、賢治を文学者たらしめていた原動力であったと言えます。"

と捉えています。
完成を求め続けるが、完成になることができず、未完成であり続ける。
そして、永久に未完成で問い続けること、それこそが完成なのだとする宮沢賢治の言葉には、考えさせられるものがあります。

②「我々科学者にとって 完璧とは絶望だヨ」 by涅マユリ

漫画『BLEACH』の12番隊隊長涅マユリ(私の推しキャラ)の発言です。
ザエルアポロという科学者との対決内の名シーンです。
最高です。

”世界には完璧な生命など存在しないのだヨ
 陳腐な言い回しになるがネ それは事実だ
 なればこそ凡人共は完璧に憧れ それを求める
 だがネ 完璧に何の意味がある?
 何も無い 何も 何一つだ

 私は完璧を嫌悪する
 完璧であればそれ以上はない
 そこに創造の余地は無く
 それは知恵や才能も立ち入る隙が無いという事だ

 解るかネ? 
 我々科学者にとって 完璧とは絶望だヨ
 今迄存在したなにものよりも素晴らしくあれ
 だが 決して完璧である莫れ
 科学者とは常にその二律背反に苦しみ続け
 更にそこに快楽を見出す生物でなくてはならない"

③「粋とは、媚態・意気地・諦めである」 by九鬼周造

「粋な男」などという使いまわしで、江戸時代に「粋」という言葉はよく使われていました。
いやしかし、そもそも「粋」ってなんだ?と考えたのが九鬼周造です。
結論は3つでした。

・媚態=色っぽさ、なまめかしさ、男女関係
・意気地=プライドを持って意地を張るイメージ。武士は食わねど高楊枝。
諦め=完成することへの諦め、断絶、無関心

特に今回のブログの文脈の中では、「諦め」を取り上げたいと思います。

この諦めというのはどういう状態でしょうか。
松岡正剛はこう解説します。

“相い思い合う二者がいて、より近付きたいとせつに焦がれながら、けして極限までは接近しない。そのぎりぎりのところに九鬼がとりあげる媚態が出入りして、「いき」の基調をなすのです。”
(松岡正剛,赤坂真理,斎藤環,中沢新一『100分de名著 日本人とは何者か?』)

すなわち、端的に言えば、恋が成就するのを積極的に諦めることです。
江戸は花魁(遊女)が栄えた時代です。両者がたとえ想いあっても、恋が成就する、完成することは基本的にあり得ません
完成しないからこそ、求めてしまう気持ちがあるのかもしれません。

※今の(声優)アイドル文化や2次元キャラクター好きな人たちが多いのも、このような思想が根底にあるからかもしれないですね! 恋が成就することはほとんどない、というのは、告白をしないしされないということです。つまり、恋が叶うか叶わないかのジャッジを先送りにできるということで曖昧な状態を継続できます。現実に存在しているアイドルについては、叶わない可能性は一応ゼロではありません、未来はわからないですからね。だからその一縷の望みみたいなものが突き動かし続けるのではないでしょうか。結婚報告などに傷つくのはそれがジャッジされてしまうからだと思います。

④「嫌なことができるのが、ちゃんとした大人なのかな」 byキノ

さて、次は完全不完全と少し類似しており、六咲コニーも言及している、大人と子供の比較をみてみたいと思います。
(大人=できる人、子ども=まだできない人みたいな価値観がありがちなので、それからの単純連想です。私はこの捉え方ではありませんが)

六咲コニーは角森ロナのエピソード2.5にて、

”私、うまくできてるかな?
 少しは大人になってるかな?
 きっと全然なってないよね。
"

と独白しています。
一方、エピソードKARAKURIでは、KARAKURIがコニーに、セブンスで孤児だった人物の現在を聞いています。
そこでコニーはこう答えています。

"ちゃーんと大人になって!
 ちゃーんと前に進んでるよ!"

ここで気になるのですが、**七咲ニコルにとって、「大人」とは何なのでしょうか?・・・
(「スマイル」のエピソードから、おそらく初代支配人がその答えのひとつを握っていると思います。)


さて、皆さまは大人をどう定義しますでしょうか?年齢でしょうか?それとも、もっと精神的なものでしょうか?

アニメ『キノの旅』第11話大人の国では、12歳で強制的に大人になる国が登場します。そこでは、大人とはどんな人間かをこう述べています。

"お前たち子どもは、好き勝手に行動していればいい
 しかし、大人には自分勝手な行動は一切許されない
 なぜなら、仕事をするからだ"

それに対して、旅人であったキノは自分の考えを話します。
自分は自分ってところがとてもかっこいいですね。

嫌なことができるのが、ちゃんとした大人なのかな
 嫌なことを永遠続けて、それで人生楽しいんだろうか
 ・・・僕はキノさ キノって名前の男 それだけさ” 


最後に、若王子ルイの言葉で締めたいと思います。
大人になることは人によって定義が違います。
難しい概念です。
今後のストーリーにも絡む議論だと思いますので、今一度振り返ってみたいと思います。

”良い人間になるってのは、社会の不条理の中に入り込んで、自分がその一部になっていくみたいで・・・
これからずっと『しょーがない』って言い続けて、物分りのいい人間になっていく。
それが成長だとか大人になるってことなんだろうかって。”

”ワタシたちはきっと変わっていく。
生まれた場所や血、敷かれたレール、自分で切り開く道・・・
いろんな人がいて、いろんなことがあるけど、きっと変わっていく・・・否応なしに・・・
でもそれはきっと、悪いことじゃない。
忘れちゃならないことを忘れずにいる限りは
・・・
希望は、光は、必ず射す。
どんなときにも
。”
  

補足:みのつばの考え
私は、大人を精神面で考えております。
大人の必要条件は、「自らを律する良識などがあること」だと現在は考えてます(律することであり決して我慢することなどではありません)。
このことに関して、アニメ『PSYCHO-PASS』において好きなセリフがあります。

”いわく、人間は心の暗部。内に秘めた残虐性を正しく自覚することで、それを律する良識と理性、善意を培うことができると。”
(7話「紫蘭の花言葉」)

本能などにより無意識レベルでプログラムされている感情があると思います。それがあることを自覚し、それを律しようとすることはとても大切だと思うのです。
なぜなら、その存在を否定し続けてしまうと、その感情が爆発してしまったときに、自らで抑制がきかなくなってしまうからです。
(終)

~まとめ~
さてさて、七咲ニコルは何を大人と考えているのでしょうか?
なぜ7から6に数字を減らしたのでしょうか?

とても気になる部分ですし、色々な想像ができます。
今後のストーリーが楽しみです!

2.七咲ニコルが「スマイル」から得たもの(主担当:拓未)

次は拓未による考察です。
※拓未の意見に沿って、私が加筆修正して記事にしております。その後のみらいんの内容も同様です。拓未は未来予測に関しての考察も展開しているのですが、今回は趣旨と異なってしまうため、割愛させていただいてます。。。ごめん、拓未!笑

エピソード「スマイル」において、七咲ニコルは2つの気づきがありました。おそらく、これらの気づきは今の六咲コニーのジャーマネ方針にもつながっていると思います。
なので、少し振り返ってみましょう!

①誰かをすぐに変えること(背中を押すこと)は必ずしもできることではないこと

ナナシスのテーマは「背中を押すこと」にありますが、それを考慮すると、なんだか少しだけ違和感を覚える回があります。
それが、エピソード2.5の「笑顔の壁」です。

背中を押すことはイメージ上の比喩みたいなものです。
実際に皆様が他者の背中を押す場面をイメージしてみてください。
大抵、背中を押される人は、しっかりと立ち、何となく進むべき方向がわかっている、けど踏み出すのをためらっていたりする状態をイメージするのではないでしょうか。

では、状態を変えてみます。
座ってうずくまっている人の背中って押せますでしょうか

「笑顔の壁」はこのことを言っているのだと思います。
うずくまっている人に対して背中を押すことは逆効果になりかねません。

では、どうすればいいのか。
その答えを、コニーさんはこう述べています。

”ねえ、サヲリちゃん。
相手を笑わせてあげるのは、今すぐじゃなきゃダメ?
今笑えないって言うなら、笑えるようになるまで待ってあげるってのはどう?”

待つこと。ただ待つのではなく、踏み出したいと思ったときに、そばにいること、帰ってこれる場所を用意していることを言っているのだと思います。
うずくまっている人が空を見上げた時、そばで手を差し伸べてくれている状態なのではないでしょうか。
そして、うずくまっていた人はその手を取り、立ち上がり、背中を押されるのだと思います。

(ナナシス公式同人誌第1弾の一番最後のページのイラストもそれに近いものだと思います。座ってうずくまっているわけではありませんが。)

さて、「笑顔の壁」のコニーさんの言葉は、「スマイル」での経験をもとにしたものだと思います。
サクラをあの時(引き取った時)は笑わせることができなかった、そこですぐに変えることはできず、待つことを学んだのかもしれませんね。


補足:メッセージが伝わるとき
背中を押すタイミングの話をしました。すなわち、メッセージは伝わるタイミングがあるということです。
私も同じようなことを堅苦しく考えてました。
詳しくはめっちゃ前に書きました下記記事をご参照いただければと思います。
(終)

②やりたいことだけでは周囲に迷惑をかけることもあること

これは若王子ルイの言葉が一番わかりやすいです。

”今回のことだって!
もしかしたら今日のライブを中止にしてまでサクラを笑わせようとするかもしれないって・・・ニコならそうするかもしれないって・・・ッ
いや、昔のニコならきっとそうしていたはずなんだ。
今はライブを楽しみにしてくれているファンがいる。スタッフがいる。
どちらも天秤にかけることなんてできない・・・
だから、あいつはあいつがするべき選択を・・・できない
。”

七咲ニコル以外のセブンス組は、七咲ニコルのやりたいことをサポートしたい!という想いを持っています。勿論そうやって支えてもらっていることは、七咲ニコルも気づいていたでしょう。
「スマイル」において、この構図がかなり主題的に描かれていたと感じます。


今の六咲コニーは、これらの気づきをもとにジャーマネとして行動しているのではないかと思います。


3.コニーさんの立ち位置(主担当:みらいん)


最後に、部分部分の細かいところではなく、全体から六咲コニーの立ち位置を振り返ってみたいと思います。
現時点でわかっていることをわかりやすくまとめてくれました。
今後のストーリーの解釈において、参考になれば!

※担当者であるみらいんは、これを前提にとても面白い未来予測の考察もしており、ぜひとも紹介したいのですが、このブログの趣旨とは違うものになってしまうため、今回は割愛しました。
ごめん、みらいん!笑

コニーさんの立ち位置を見ていきたいと思いますが、大きく4つあります。
これらの事実は、今後のストーリーにも大きくかかわることになると思います。

①セブンスを超える新しい『今』のアイドル像を作ろうとしている
②ナナスタの皆を見守る存在、『背中を押す』立ち位置に徹している
③いつかナナスタを去ろうとしている
④ジャーマネはコニーのやりたいことである

それぞれ一つずつ簡潔に見ていきましょう!

①セブンスを超える新しい『今』のアイドル像を作ろうとしている

これは第1話アバンタイトルで明言してます。

”そんな子達を集めて、育てて!
新しい、『今』のアイドル像を作るの!”

②ナナスタの皆を見守る存在、『背中を押す』立ち位置に徹している

六咲コニーが、各アイドルにしてきたことを振り返ればなんとなく見えてくる部分ですね。
エピソード3.5シズカの話では、こうシズカに明言しています。

私はあなたの背中を押すためにここにいるんだ

③いつかナナスタを去ろうとしている

これはしっかり明言しているわけではありませんが、それに近い部分をエピソード2.5ロナで感じ取ることができますね。

④ジャーマネはコニーのやりたいことである

これについても明言しております。
エピソード1.0ハルの話です。

”もしも才能が無かったとしても、歌ったり踊ったりすることはやめなかったと思うんだ。だって一番はじめの記憶は『これがしたい!』って、ただそれだけだもん。誰かの為とか、何かのためじゃなくて、自分がどうしたいかだけだもん。七咲ニコルはいつだって本当にやりたいことをやってるって思うよん。”

おわりに(主担当:みのつば)

いかがだったでしょうか。
少しでも面白いと思っていただけたら書いてよかったなと思います。
そして、みらいん、拓海ありがとう!!

来週のエピソード解禁に向けて、振り返ってみたり、予測を考えたりするのも面白いと思います!
敢えてAXiSの考察はしませんが、とっても楽しみですね!!!!!

最後に、KARAKURIの時同様、七咲ニコルのイメージ曲をご紹介して終わりたいと思います!
My Chemical Romanceの『Welcome To The Black Parade』です!
ありがとうございました!


参考文献

角川書店『万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川ソフィア文庫)

ハンナ・アレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫)

『コンプティーク5月号別冊付録Tokyo 7th Sisters OFFICIAL REPORT』

小河陽『ヨハネの黙示録』(講談社学術文庫)

山下聖美『NHK100分de名著 2017年3月』(NHK出版)

久保帯人『BLEACH35巻』(集英社)

松岡正剛,赤坂真理,斎藤環,中沢新一『100分de名著 日本人とは何者か?』(NHK出版)

アニメ『キノの旅11話 大人の国』

アニメ『PSYCHO-PASS7話 紫蘭の花言葉』

My Chemical Romance『Welcome To The Black Parade』


#t7s   #ナナシス #オタク

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