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水とフィンランド

わたしは蟹座なので、占星術的にいうと"海や湖など水のある場所"に行くと運気が上がるらしい。それを初めて聞いたのはフィンランド関係の仕事を得てからで、南部の三方を海に囲まれて湖が18万個以上もあるフィンランドに度々出張に行くことはわたしにとっては仕事以上のポジティブな意味を持った。

確かにフィンランドでは日本にいる以上に水に触れる生活がそこにある。ヘルシンキでのわたしの現在の行動手段はもっぱら自転車で、中心地に行くのに使う道の全てに水がある。トーロ湾、小さな湖のある公園、レガッタのあるバルト湾を一望できるカンノン通り…自転車をこぐ自分の横には太陽の光できらめく水面が常にある。日本ほど強くはないけど潮の香りもして、何より空気がおいしい。ヘルシンキの空気は東京の何倍も綺麗だ。いつも新鮮でぱりっとしている。周りにあるたくさんの水で浄化されてるからかな、と思う。湿度が低いせいもあるかな。(ちなみにフィンランドの水道水は世界一クリーンでミネラル以上という調査結果も出ている。ペットボトルのお水なんて誰も買わないよ。蛇口をひねるだけで美味しい水が出てくるよ!)

【写真:レガッタ。バルト湾を眺めてゆっくりコーヒーを。週に1回は行ってます。】

ヘルシンキの周りには200以上の小さな島があるだけに、群島に出かけることも多い。Skifferという美味しいピザ屋に行くには小さなボートに乗らなくてはならないし、スオメンリンナでピクニックするのにも20分フェリーに乗る。また、ボートを所有している人も少なくない。ニナとヨハネスがニナのお父さんから譲り受けた20年代のものといわれる木製の美しいボートでピヒラヤサーリというビーチがある小さな島に行ったこともある。人々にとってボートや船で出かけるのは東京に住んでいたわたしの感覚に比べたらかなり当たり前の日常のよう。

一方、サマーコテージのある田舎に来ると水との暮らしはもっと身近になる。サウナの横には必ず海か湖があるし、一日の大半を水の中、またはそばで過ごす。朝起きてまず海や湖に飛び込む人あり、そうでなくても昼には泳ぐ。沈まぬ太陽の下で夜も泳ぐ。どこかに出かけるにもボートに乗って移動しなくてはならないし、釣りやカヤックは日常的なアクティビティだし、サウナのあとはもちろん水の中に飛び込んで体を洗う。かつてインドのガンジス川で沐浴したことがあるけれど、フィンランドの水辺の生活はそれよりももっと身近で、そして全く神聖化されていない。

でもフィンランドは15世紀にキリスト教が入るまでそもそも八百万の神を信じていた土地で、アニミズム信仰の土壌柄もちろん森や木を含め、水やサウナにいたるまで自然のひとつひとつに精霊が宿っているとされ、聖なるものとして扱われてきた。日本も元来アニミズム信仰の国なのでそこら辺の感覚は通ずるものがある。でも日本の都会に住む人々が自然に全く触れない日々を過ごしがちな中(最近は山登り やジョギング、キャンプがブームだけどね)、こちらの人々はどんなに都会に住んでいても頻繁に森へ戻る。島へ出かける。電気やトイレがないサマーコテージでできるだけ多くの週末や夏休みを過ごす。ムーミンみたいな生活はこちらの人たちにとっては先祖代々受け継いできた伝統で、伝統と現在に隔離がない。

伝統は受け継ぐから伝統で、受け継がれるには愛される必要があって、人々は一見不便に見えるサマーコテージでの生活や森で自らベリーやきのこを採る半自給自足な生活を心から愛しているのだ。そこにフィンランド人のルーツがあり、そこへ帰ると全てが元に戻って浄化されていくとでもいうように。そこに神聖や俗という隔てはなくて、むしろ自然という精霊の集合体は妖精の一つであるムーミン(カバじゃないんです!)みたいに気構えてなくてへんてこでのんびりした存在のような気がする。

少し前に今年はリセットの夏、デトックスの夏だとある知り合いに言われたけれど、蟹座のわたしは海や湖のそばで少しでもムーミンみたいにほのぼのとした心にほぐれたらいいと思う。もちろんムーミンたちにも悩みや苛立ちや苦悩があって、だからこそはかない幸せは引き立つのだろうけど。

サウナの準備ができました!


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