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親愛なる、水木しげる大先生へ

2022年3月8日。

偉大なる漫画家・水木しげる大先生。
今年はご存命であれば大先生の100歳のお誕生日でした。

私はそんな、水木しげる先生のファンです。
3月。この季節になると、水木しげる先生を思うと同時に、私の人生を変えたもう一つの出来事を思い出します。

この文章は、愛する水木しげる作品への、愛する水木しげる先生への
私の勝手な思いを綴った独り言です。

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昔々。私は幼い頃から図画工作音楽が大好きで、将来は漠然と「何かを作る人になりたい」と思っていました。
漫画家になりたい。小説家になりたい。画家になりたい。作曲家になりたい。アニメーターになりたい。
物作りが好きな子供が思いつくだろう夢は一通り持っていました。

そんな漠然とした夢をもったまま、義務教育を脱したばかりのころ私の人生を変える出来事が起こりました。

2011年3月11日の、東日本大震災です。

当時私の周りでは、震災や津波で亡くなったり、そのことを苦に自ら命を絶ったり、住み場所を追われる人が周りに溢れていました。それが日常でした。

しかしそんな環境の中でも物作りの夢を諦めきれなかった私は、己の知見になるものを吸収・分析することを日課とし、その一環の一つが学校帰りの本屋通いでした。
そんな日課の最中、本屋の中を散策する私の目にふと止まった本がありました。

それが、水木しげる先生の「墓場鬼太郎」でした。

私はこの時
「名作とはなんぞやとと知っておくのも物作りの一つとして大事なことだろう」
という軽い心持ちでその本を手に取りました。
そして……読んで衝撃を受けました。


すごくすごく気持ち悪かったのです。


こんな気持ちは、本当に生まれて初めてでした。
しかし気持ち悪いはずのに不思議と不快感はなく……思えば、この時の私はこれまでこんな漫画を、こんな物語を、一度も読んだことがなかったので、衝撃で消化不良を起こし、心がないまぜになってしまっていたのだと思います。
この出会いは、私にとってそれほどの衝撃でした。

そんな衝撃も冷めやらぬまま。
本屋からの帰り道、自転車を走らせながら考えました。

「この気持ちはなんなのだ」

と……そして

「知りたい」

と思いました。私の、私が感じたこの気持ちの根源を。

それから、鬼太郎だけではなく、水木しげる先生の多くの作品を読みました。
水木作品との出会いは私の癒しであり、そして救いでした。

それを最も感じたのが「河童の三平」そして「悪魔くん」です。

震災以後、私の周りには常に「死」の存在がありました。
知り合いを亡くし、友人を亡くし、親類を亡くし……それに打ちひしがれている中で読んだのがこの「河童の三平」でした。私は三平の最後の結末をみて

「ああ。この子も今を生きる、私たちと同じなのだ」

と思ったのです。
その人がどんなに素晴らしいことしても。
どんなにかけがえのない人でも。
どんなに愛していても。
「死」は常に私たちの隣人にあり、その人を勝手に連れていってしまう……。
その普遍を、平等に、そしてまざまざと描く「河童の三平」に

「それを感じているのは私だけでなはないのだ」

と……私はすごくすごく励まされたのです。

私の周りには震災で親をなくし、家をなくし……そしてそれを日常の笑顔の下に隠し悟られまいとする同級生が多くいました。
子供ながらに、気を使い。そして使われ。影で泣いている。


『「子供」というのはなんて力のないものだろう』
『なぜ大人は子供の笑顔の下の苦しみに気づかないのだろうか。なぜ誰も助けてくれないのだろうか。』


私はそう、常々考えていました。


「がんばろう 東北」
などという大人のスローガンを勝手に掲げられ、そのスローガンに沿った流行を描く作り手たち。

私達は、毎日を精一杯生きているのにこれ以上何をどう頑張れっていうのでしょうか?
「がんばろう 東北」?前を向いて生きる?
あの時、私たち子供は、苦しみを内に秘め、誰にも話すことができず、泣いていました。これのどこがハッピーだというのでしょうか。

「よくもまあ、知りもしないのにそんなことが平然といえたものだ。」
当時の私の中には、そんな子供に目を向けない、また向けた気持ちになっている、大人への憤りばかりが募っていました。


水木しげるの「悪魔くん」
一万年に1人現れて、悪魔の力でこの世を救う救世主。

「子供だ_____」

私は初めて読んだ時に思いました。そう子供だったのです。
私と同じで社会的地位も乏しく、誰かの扶養を受けなければ生きていけず、そしてなによりも、無辜である子供がこの世界を救う。
その姿に、その物語に、私は衝撃を受けました。

短編の自叙漫画「突撃!悪魔くん」で、水木先生は『己の不条理』ををきっかけに『他者の不幸を救済する』「悪魔くん」を描かれたのだと知りました。私はそれを見て思ったのです。

この人は。この「大人」は。水木しげる先生は。
己の不幸をもって、それでも他者の幸福を思うことのできる作家なのだと。

「この世の不条理をフンサイするのだ!」

憤りのままにペンを走らせる水木先生をみた私は、

己の気持ちに
「憤っていいのだ」と「嘆いてもいいのだ」と。そしてそれを持って
「他者を思いやる心」を忘れてはならないのだと学び
そしてその「あり方」そのものに心底救われた気持ちになったのです。

震災による
差別があり、偏見があり、理不尽があり、死があり。

こんな酷く、どうにもままならない世の中でも。
まだ生きてていいのかもしれない。

この「水木しげる」という作家が、「水木しげる」という大人がいる世界なら
まだきっとこの世も捨てたものではなのかもしれない……と、あの時の私は確かにそう思ったのです。

水木しげる先生は「総員玉砕せよ!」の構想ノートに

「いまここに書きとどめなければ 誰も知らない間に葬り去られるであろう」

という言葉を残しています。
私も全く同じ気持ちを、震災を苦にし命を絶ってしまったというとあるニュースに重ねたことがあります。
亡くなった人の存在。亡くなった理由。悲しみに打ちひしがれたその人の家族友人知人。そして、その無念。
全てがきっと、時を経て誰かの心から忘れ去られてしまうのだと。

あの頃の私も、水木先生と同じ気持ちをもったのです。

生まれも、境遇も違う。
被災をした人。そうじゃなかった人。
不幸だと思う人。幸せだと思う人。
貧乏な人。裕福な人。
戦争を経験した人。戦争を知らない人。
大切な人をものを失ったことがある人。誰も何も失ったことのない人。
「人」というのはどんな立場であれ常に「相反する他人」同士です。
そしてそれは作品を通じても同じことであると思います。
震災を経て、己の表現と向き合って、その表現を介しまた他者と向き合って
誰も傷つけない表現などないと知りました。
万人に愛される作品など存在しないのだと知りました。
表現し描くことに対する作り手としての責任を知りました。

それでも、私は、私たちは、
そんなリスクを、そして責を負ってまで、何故筆を取り続けるのでしょうか。


何を思い
何を描き
何故訴え
何を残し
何に向きあい
何を伝えるのか。


「いまここに書きとどめなければ 誰も知らない間に葬り去られるであろう」

私は水木しげる先生の戦記漫画への向き合い方に、己自身の問いとその答えを重ねたのです。


親愛なる 水木しげる大先生

私は、あなたの作品に希望をみました。

そしてあなたそのものに希望を見ました。

あなたのおかげで私は今を生かされています。

そしてあなたのあり方は。あなたの思いは。私の物作りの指針となり、お隠れになられた今もなお、この心に息づいています。

きっとまた、かつての私のように
あなたの作品に。
あなたの言葉に。
生かされる人がこの世界のどこかにいることでしょう。

私はひとりのあなたのファンとして
水木しげる大先生の作品が、後の世の誰かの心を救い。
そしてその胸に息づくことを、心から。心から祈っています。


11と100回目の春に、手向けの花を。


愛しております。これからもずっと。


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