松坂大輔のMLB時代

松坂大輔引退

先日引退を発表した松坂大輔。今やダルビッシュ有、岩隈久志、大谷翔平、菊池雄星ら先発投手のオールスター選手が複数生まれたが、野茂英雄以降でタイトルホルダーやオールスター選手となる先発投手は松坂だ、と信じて疑わなかった人は多かったと思う。自分もその1人だった。そのMLB時代はどのような存在だったのか。

松坂大輔MLBへ

当時、日本で圧倒的な成績を残し、MLBでの期待も高い存在だった。その証拠にBOSに移籍した当時のMLBNo.2プロスペクトだったし(No.1は4月に引退したジェイ・ブルース)、今とはルールが違うとはいえポスティングで高額の落札金額が必要だった。

しかしながら、MLB入りした2007年以降、松坂のパフォーマンスは我々が期待したものではなかった。原因として、硬いマウンドや滑りやすいボール、中4日ローテに伴う投球制限や調整方法に苦しんでいた印象が強い。1年目は15勝、2年目に18勝したものの、内容はよくなかった。

当時は適応能力に関する批判が集まっていたと記憶している。特に同時期に黒田博樹がMLBに在籍していたことが大きかった。しかし、今や中4日ローテは標準ではないし、滑りやすいボールは禁止粘着物質の規制と結びつく重要な問題だ。

WBCで活躍

MLB時代の松坂は、それでも随所で輝きを放った。特に、2009年WBC、日本ラウンドの韓国戦やアメリカラウンドのキューバ戦での投球は忘れられない。韓国は前年の北京五輪で苦渋を与えられた相手で、相手先発は同大会で完璧に抑え込まれた金廣鉉(現STL)だった。日本は相当金を研究しており、初回から打ち込んだのだが、韓国打線をほぼ沈黙させたのは他ならぬ松坂である。相手先発がアロルディス・チャップマン(現NYY)だったキューバ戦ではベンチから声でキャッチャー城島健司の構えるコースを伝えていた(タイムリーな話題である)。対策として、バッテリーは投げる直前までコースに構えずに投球してキューバの強力打線を抑え込んだ。今思えば、あの時点で全快では投げられていなかったと思う(事実2009年は故障でシーズン大半を離脱した)。準決勝のアメリカ戦では不本意な投球だったと思うが、投手陣のリーダーとしてWBCで放った輝きは本物であった。成績的には岩隈久志だったと思うが、MVPを獲得したことも納得である。

MLB晩年

その後のMLB生活は芳しいものではなかった。2011年にトミー・ジョン手術からの復帰も思うような結果は出ず、クリーブランド・インディアンスやニューヨークメッツに移籍して、場合によってはリリーフでの登板も厭わなかった。球速が衰えを見せ、支配力を失っていった。7シーズンでrWARが9.4という数字に終わったことでも顕著に表れている。

NPB移籍とその後

その後はソフトバンクホークス、中日ドラゴンズ、埼玉西武ライオンズに移籍し、そこでも様々な思い出があるのだがそれは割愛。松坂大輔のMLB移籍は当時大学生だった私の目に鮮明に映ったのである。ダルビッシュや大谷では不思議と感じなかった大きな期待があった。

今はお疲れ様でしたと言いたいです。


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