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足立実の『ひと言』第28回 「勇気なる正義の行動 全逓本部に大垂れ幕」 1986年6月10日

全逓信労働組合本部の建物に「本部役員の組合費使い込みを糾弾する」「本部役員は責任を取って辞任せよ」という大垂れ幕が下がった。
 全逓幹部が全国数十箇所でホテル経営に手を出して四百億の大赤字をつくり、組合費や闘争資金まで担保に入ったため、専従者は生活不安におちいり、組合員は「これでは大合理化と闘えない」と心配し、本部に質問状が殺到したという。
 五月十九日数十人の組合員が押し掛け、本部書記長と交渉したが、誠意のない対応だったため、新聞記者会見、「大垂れ幕 」、本部内と玄関前の徹夜の座り込み、翌日の中央委員会傍聴要求座り込みと、三十一時間にわたる行動をもって本部役員を糾弾した。東部連の全逓の人もその中にいた。
 まったく理にかなった正義の行動だ。
 それにしても、組合本部は組合の司令部であり、赤旗をなびかせる労働者の砦のはずではないか。労働運動史上前代未聞の「垂れ幕事件」は何を示しているか?
 第一に、全民労協に代表される労働運動の右傾化と労働貴族の腐敗堕落が末期症状に達していることを示している。
 第二に、全逓労働者の中に組合を愛し、労働者の闘う砦に再建することを望む多くの組合員がいるだけでなく、勇敢に闘う先進的労働者がいることを示している。彼らは全逓労組の希望を現わしている。
 私達は彼らの正義の行動を支持し、彼らの敢闘精神に学ぼう。(実)

(画像は郵政民営化を強行した小泉純一郎元首相。全逓労組の弱体化もその一因となった。)

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注釈

・全逓信労働組合
略称全逓。
旧郵政省、旧総務省郵政事業庁職員の労働組合。1946年全逓信従業員組合として結成。1948年全逓信労働組合となる。
労働基本権確立に積極的に取り組み、1978年末には当局の労務姿勢変更を求めて「反マル生闘争」を展開、年賀郵便処理を全面拒否した。
1980年代に入り雇用重視、交渉重視の柔軟な制度政策闘争に転換、郵政労働者の統一を目指した。
日本労働組合総評議会(総評1989解散)の主力組合の一つだった。
2003年4月の日本郵政公社発足に伴い、日本郵政公社労働組合に名称変更。郵政民営化後の 2007年10月、全日本郵政労働組合(全郵政)と統合して日本郵政グループ労働組合(JP労組)となった。

・「垂れ幕事件」
いわゆる「全逓会館事件」。
1984年、郵便局の局員らを組織していた全逓(全逓信労働組合、当時の組合員は18万人)内で、全国各地にあった全逓会館をめぐる不祥事で密かに「調査委員会」が作られ、以下の事実がわかった。
かつて全逓は当局の差別的な人事政策に反対して、年賀状配達をボイコットする大闘争を展開、「権利の全逓」ともいわれ、国労(国鉄労働組合)などとともに、総評(日本労働組合総評議会)を支えた三公社五現業の公労協の中心労組だった。70年代から「組合活動の拠点づくり」「組合員の福利厚生」を目的に全逓会館を次々と各地に建設した。
ところが、組合員だけでなく一般向けの会館に次第に変質、豪華なホテル並みの会館を作ったり、ピンクサービスを売り物にする温泉地の会館まで現れた。組合役員の天下り先の確保と巨額な建設費のバックマージンという、うまみもあると言われたが、会館の経営を担った労組幹部たちは、経営の素人で、採算を度外視した経営に陥り、総額400億円もの借金を抱えるに至った。
その全容が85年11月27日毎日新聞社会面トップで「あきれた全逓商法」「採算度外視、組合幹部が独走」との見出しで報じられ、同じく全逓幹部OBと郵政省との相乗りで運営する郵政互助会で、中心となった全逓出身の幹部による乱脈経理を明るみにした記事も続報された。
この報道を契機にコラムにあるような全逓労働者の本部に対する闘いもあり、関係した幹部が辞任、全逓会館の売却も決定された。

・全民労協
全日本民間労働組合協議会の略称。労働戦線の統一を目ざして1982年(昭和57)に結成された組織。1989年日本労働組合総連合会(通称連合)の結成によりこれに参加した。
『ひと言』第17回 「投降主義に反対しよう-全民労協批判」参照https://note.com/minoru732/n/n22a43b8d057c

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日本の労働運動にとって80年代は、大きな節目の時期であった。

労働組合、とりわけ総評は「昔陸軍、いま総評」と言われたかつての面影はなく、中曽根が推し進める臨調(臨時行政調査会)で、公営企業体の民営化が次々と打ち出され、総評の中心を担っていた国労、全逓、全電通(全国電気通信労働組合)など官公労系の労組は後退を重ねていた。

しかし、このような中で「労働貴族」と呼ばれる大労組の幹部たちの腐敗と迷走は凄まじく、全逓の幹部も例外ではなかった。総評解散前の象徴的な出来事の一つが「全逓会館問題」だった。

中曽根臨調による公営企業体の民営化が総評の解散につながったのは間違いないが、労働組合幹部たちの腐敗、迷走の責任も免れない。

こんな中で、筆者も言う通り「全逓労働者の中に組合を愛し、労働者の闘う砦に再建することを望む多くの組合員がいるだけでなく、勇敢に闘う先進的労働者がいること」は「希望を現わして」おり、「私達は彼らの正義の行動を支持し、彼らの敢闘精神に学」ばなければなるまい。

しかしその後郵政は、2004年9月に郵政民営化を「改革の本丸」とした小泉純一郎内閣が郵政民営化の基本方針を決定。2005年8月に参議院で郵政民営化法案が否決されるとただちに小泉首相は衆議院を解散、9月の総選挙では民営化賛成派を中心とした与党が圧勝し、郵政民営化法は成立した。

こうして、旧郵政省から継承して日本郵政公社が運営していた郵政三事業(郵便・簡易生命保険・郵便貯金)と窓口サービスは国から民間会社の経営に移行し、2007年10月には日本郵政グループ5社に分社化された。

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