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【小説】Ib.(b)002

 私は一介の大学教授で燻っているような人間ではない。しかも私の肩書きである特任教授とは甚だ身分が心許なく、毎年の学生の履修登録数によって次年度の雇用が更新されるというから噴飯ものだ。
 私は私の芸術をこよなく愛している。この大学は無知な輩ばかりで、真の芸術を理解しようなどという人間は一人もおらず、ただエゴイズムを吐き出してるだけの烏合の衆だ。
 大学があてがってきたのは、研究室と呼べる代物ではなく、単なる待機部屋でしかも他の教授との共同であって、これではタコ部屋と変わらないではないかと内心腑が煮え繰り返り、それは今も内なるコンロが火を絶やすことなくこぽこぽと沸騰しているのだが、まぁいい。
 雲母を純金に代えるがごとく、恨み辛みを芸術に変える錬金術が私には可能だ。学生への講義が終わった後、雑務をやっつけてアトリエへと向かう。チョコスティックパンとパックのミルクコーヒーを買うのも忘れない。創作に欠くことのできない栄養源である。
 アトリエは元々私の愚妻の実家であり、義父は他界し、義母は認知症を患ったので施設にぶち込み、無人になった空き家を私が利用している。
「お父さんはお母さんが施設に入ったことが無念で浮かばれないんじゃないかしら。」
愚妻はそんなことを気にして実家に近づこうとしない。そんな根性だからメニエール病で入院したりするんだ。まぁ、私にとっては好都合だが。
 全身が映る姿見よりも大きなスクリーンが部屋の真ん中に位置し、棺のような形をしているのが、立体型プリンタである。この2つを用意するだけでも軽く億を超えてしまう。もちろん私の手持ち資金では到底手に余ってしまう。資産家の妻の両親に用立ててもらった。まるで自分がラスコーリニコフにでもなった気分だが、現代のラスコーリニコフは、わざわざババァをぶっ殺さなくても金持ちの親を持つ器量の悪い女と結婚すれば良いのだから、頗る楽だ。
 人間の数式が解析されたのは、多感な学生のときだった。よくぞ間に合ってくれたと思った。この偉業を成し遂げたのは数学者で、名前は「テツジ・モトナカ」というが、数学の権威あるウェブサイトにhuman codeという論文を発表し、サムネイルの動画では実際に人間を創成する過程を撮影した。動画の中のテツジ・モトナガは犬神家の一族のスケキヨのマスクをつけて作業に当たっていた。
「Dont test da master!」
 最後にそう叫んで終わるこの動画を穴が開くぐらい私は見た。今あるこの機器も全てテツジモデルである。
 学会は震撼し、メディアが一斉報道したことにより、あっという間に世界に拡散された。資金力があり、最新技術に貪欲な人間は、半ば道楽で論文にある設備を購入した。だが、一月も経たず根を上げた。
 human codeを使いこなすのには、数学と情報技術分野に深く通じてなければならない上に、双方を立体的に造形する芸術性も持ち合わせていなければならない。成金連中の中にそのような複合的資質を兼ね備えた人間がいるはずもなく、奴らは分不相応な機械を売り叩いた。私のアトリエにある機械も放出された、いってみたら中古である。もし、新品で買うとなると、さすがに義理の実家も首を縦に振ることはなかっただろう。
 おまけに世界各地の宗教団体がこぞってhuman codeに反対を表明した。ここ日本も例外ではない。煤けた身なりに不幸そうな面を浮かべ、街頭で訳の分からない妄言のビラ配りしている信者共や何かにつけて人権擁護を連呼する固頭たちの団体たちが、暇にかまけてデモ活動を行う。そして、時代錯誤の思想に塗れた幹部がいるマスコミが躍起になって報道する。政府はそれが国民の声であると曲解し、human codeに規制をかけるために、税金を注入し、無駄な第三セクターの審査認定機関を立ち上げる。いつ頃から始まったのかすらもはや分からない我が国の負の螺旋構造はhuman codeの普及を阻害した。
 しかし、最大の要因は、人間を生成することに人々が意味を見出せないことにあったのかもしれない。人間を生成しなくても自然に生まれた人間は吐いて捨てるほどいるわけだし、人権や製造物責任、果ては社会権に基づく生活保障等、面倒なことが次から次へと発生する。投資に対するリターンの算盤が弾けず、企業はこの歴史的な発明に対して互いが三すくみしたまま膠着していた。だから、本当に一部の好事家だけがhuman codeを使い、SNSにアップして悦に浸るという、球体関節人形ぐらいの認知度になってしまっている。
 私はhuman codeで生成した人間をレディメイドと呼んでいる。女性しか作らないからその呼び名は理にかなっていると自負してるわけだが。
 レディメイド達は、私のアトリエで静かに佇んでいる。彼女たちは必要がなければ、お互いに会話をすることもなく、ただ、あてがわれた窪みにひっそりと収まっている。森の中で暮らす妖精たちのように神秘的だ。
 しかし、彼女達には顔がない。本来、目や鼻や口などの顔を顔たらしめてるパーツが、彼女達には欠落している。雑草1つ生えてない砂漠の平原のようにのっぺりとしている。ただ、私には明確に彼女達の顔が見える。私の脳裏が映す理想の総体としての女性である。もちろん私だけではない。レディメイド達は、全ての男たちに現実の夢を見せてくれる。まぁ、私以外には一度も見せたことはないし、これからも見せるつもりはないのだが。
 レディメイド達を私はこよなく愛してやまないが、彼女達に欠点がないわけではない。それはあくまで人間性への再現度という評価軸であり、当の人間は山ほど欠陥のある生物であるが、創造主の私ですらも看過できないのは、彼女たちが過去を持たないということだ。言ってしまえば単純な話で、彼女達は誕生の瞬間から不変な存在であって、成長もしなければ、老化もない。human codeの現時点での限界は、外見について、刻が止まった人間しか形成ができない。
 それが理由なのか、彼女達の存在は自然人と比べて、どこか薄っぺらい。儚いといえば聞こえはいいが、それは作品が未熟なことへの逃げ道なような気もしてくる。
「君たちは、過去が欲しかったか?」
 私はレディメイド達にそう尋ねた。
 彼女たちはお互いに顔を見合わせ、やや困ったような笑みを口元に浮かべたが、やがて確信的に一様に深く頷いた。
 だから、私は彼女たちに見守られながら、次の人間生成に取り組み始めている。過去を持つレディメイドを生み出すために。
 私が作業をしている間、レディメイド達は思い思いの時間を過ごしている。椅子に腰掛けて足を組み。女性向けのファッション誌を読んでいる者もあれば、ヘッドフォンを装着し、頭を左右に揺らしている者、ずっと自分の左手を見つめている者、様々だ。
 私は私で脳の片側で、数式を組み立て、それを情報言語に変換しつつ、もう片側は、脳裏の暗転した舞台のような暗いキャンパスに描いてく。人間ドッグを受診した際、私の脳が右と左で分離していると老齢の脳外科は言った。それはとても珍しい奇形なのだそうだが、それはこんな作業を若い頃から毎日続けてきたのが原因なのかもしれない。
 感情もまた大きく起伏する。演算やコーディングは規則があり、無駄を削ぎ落としたシンプルな絶対解を最短経路で求めるため、雑念をなるべく排し、機械的に作業を行っている。向こう側が透明なぐらい純粋に数値と言語に向き合っているのと対照的に、レディメイドの姿形を闇の深海から引っ張り上げるためには、徹底的な猥雑さを解放する。それは自涜をする時に脳裏に思い浮かべる意中の相手と似ている。相手がクラスメートであった場合、そのクラスメートは現実のクラスメートではない、みだらであり、自分が理想的な姿形を成している。それで性器を自涜するには猿に毛が生えた人間のすることだが、私は芸術の器へと注ぐし、単に胸や尻の膨らみだけに創造を凝らすことをしない。私は私の女神を降臨する祈りとして欲情までも糧にするのだ。
 端から家には帰らず、アトリエを蟄居にレディメイド生成にのめり込む生活だったが、妻が入院していることで余計に戻らなくなった。通常、メニエール病の入院期間は大して長くないと妻は言っていた。私が面会に行ってないので原因が分からず、妻から特に連絡もないが、まだ退院してないとすれば1ヶ月以上に及んでいる。まぁ、病院なんて金さえ積めばいくらでもいれる。本人が居座りたいなら好きなだけいればいい。私は行くつもりはないが。
 作業時間は私の体力が限界を超えるまでである。夜中、ベッドに入り、仰向けになりながら、本を読んでいると睡魔に襲われて、本が顔に落ちてきたりする経験がある者もいるかもしれないが、私の場合は目の前が一瞬にして暗くなる。自分が電池切れのおもちゃにでもなった気分だ。レディメイドは、私の意識が事切れた瞬間を見逃さず、私を抱き止めて、寝床まで誘ってくれる。そして、私の隣で添い寝をしてくれ、朝になり、日が昇り、頃合いの時間になると優しく揺り起こしてくれる。
「時間よ。」
 他のレディメイドは、各々が朝の支度をしてくれる。私の母親は私が幼い頃に精神を病んで精神病院に入退院を繰り返していたし、建築士の父親はそんな母親を悪し様に罵倒しながら、私の面倒を見ることなく仕事にのめり込んでいたため、私は親戚の伯母の家まで通いながら食事を摂ることになっていた。だからであろうか、私はレディメイドにはじめて頼み事をした。
「オレが寝ている間に、なんでもいいから食事を作っていて欲しい。目が覚めたとき、その匂いを感じたいんだ。」
レディメイドは皆一様に穏やかな笑みを浮かべながら、優しく頷いた。
 今朝は、トーストの焼けたいい匂いが眼醒ましだった。程よく焦げたパン生地の上にクランチしたピーナッツペーストが満遍なく塗られる。私の好みを彼女達はよく分かっている。オリーブオイルをひいたフライパンに、私が好きな生姜のすりおろしを加え、火をつけて香りが立った頃に、片手で小気味よく割った卵をフライパンの上に落とす。大ぶりなウィンナーが丸々1本投下され、黒胡椒を塗す。黄身の固さやウィンナーの焼き加減は完全な状態でプレートが運ばれてくる。機械が自動的に食事を提供してくるドラえもん型の未来なんかと比べて遥かにこの現在が幸福である。
 小さい頃にあった瓶の飲み物スタンド屋に通い、大きくなった私は、紙パックの飲み物は臭くて飲めないから、牛乳もジュースも全て瓶詰めで取り揃えてる。グラスの牛乳は新鮮な甘さがあり、コーヒーなんかよりよほど目が冴える。
 食事をキレイに平らげた後、全裸になり、シャワーを浴びる。シャンプーは気持ち多めに出し、指の腹でもって地肌に揉み込むように洗う。私のひどい癖っ毛は、シャンプーとお湯によって束の間直毛になる。それを鏡でちらりと見るのが私のナルシシズムだ。石鹸で首と脇、チンコとケツを洗い、お湯で流す。洗面台で1日伸びた分の髭を切り揃える。
 レディメイド達は私が全裸のまま通り過ぎるのを我が子の成長を見守る母親のような優しい眼差しで見送る。純白な上質な生地の国産ブリーフとランニングシャツ、その上にペイズリー柄のシャツと黒のスラックスを着る。今日は晴れているが、風が冷たいので薄手のコートを羽織る。
 大学に出かける時には、レディメイドの一人一人とキスを交わす。彼女達は一様に名残惜しい表情をしている。私もクソくだらない大学の講義をしに行きたくはないが、踏ん切りをつけやいと、ずっとここに沈没してしまいそうだから、アトリエを離れる。どうせ、11時間後にはまたここに戻って来れるのだ。
 愚妻が退院し、週に何度かは家に帰り、愚妻の機嫌を取らないといけなくなる。私は相変わらずニュータイプのレディメイドを生み出すのに専念していたが、ある地点でそれが私には不可能なことが分かった。
 過去を生み出すのには、私が駆使してる技術とは全く別個の技術がいる。そして、それは私と同じ熱量で気が狂ったように打ち込んでなければならない。そんな人間がこの世にいるとは思えない。
 だから、現実的に過去を持つレディメイドは創れないのじゃないかと諦めた。私はスパッと諦める。そして、新しい仲間を増やすことにした。そして、これが最後のレディメイドにしようと決めた。

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