見出し画像

【小説】Ⅰb.(b)007

 きっかけはなんだろう。そうだった。欲しいダウンがあって、大学に着て行きたくって、お金がないのにカード切って、買ったは良いものの、着てみたら袖が足りなくて、なんだかもの凄いダメなことを自分はしてしまったんじゃないかっていう罪悪感と、十何万のカード負債があって、ずっとびくびくしながら生活してた。
「便所掃除やるようなもんだから。」
 街で声かけられた人にすぐお金を稼げるからなんて、怪しい誘いに一方ではそんなわけないじゃんと否定しているのに、頭のどこかが返済できるんだからと私の血液になんか変な薬品を流し込んだみたいで、付いていってしまったのが運の尽き。面接した人にそう言われた。それは半分本当で半分はウソだった。
 個人情報保護能力皆無な愚かな私。よりにもよって大学がある街の風俗で働く。2週間?いやもっと短かったかもしれない。どっかの掲示板に晒されることになり、直接は誰も言わないけど、周りにはバレてるんだと疑心暗鬼状態。もしも、私が順風満帆なキャンパスライフを送ってるんだったなら、この時点で統合失調になっててもおかしくなかった。
でも、待てよ。私、元々1人じゃん
どん底タッチして掴んだ真理がそれだった。じゃ、別に他人からどう思われようが関係なくない?
凄まじい早さで鈍雲が晴れていく。
そこからは開き直って、大学の講義よりも風俗のシフト入れて、バンバン自分磨きにお金は消費。えっ、ダウンのお金はどうしたって?そんなの1日働いたら、釣りきたわ。
 おかげで群抜けで目立つようになって、男子が寄ってたかってきてて、あの年頃の男の子はなんか変な正義感が駆動してるみたいで、何かの事情で風俗に働いてる最近加速度的に見目麗しくなってる女の子を救うために、特に何ができるわけでもないけれどもそばにいるよという能無し役立たず扶養野郎ばかりだった。
 推しという供給側に都合のいい単語で、ホストなんかにせっせと貢いでる同僚の子を尻目に、稼いだ額の半分は自分磨き、もう半分は投信にぶっ込むという内々にしては健全な生活を送っている。家は実家住まい。もし、一人暮らしなんかした日には、贅沢に歯止めが効かなくなる。親の目が鎖となって私の物欲を繋いでるの。
 IPL治療で美顔してた時にマネージャーが今月いっぱいで店を閉店することになったってメールが届いた。びっくりしたけど、所詮風俗なんて泡沫の商売だし、さもありなんと冷静に受け止めながらも次の働き口を探した。そして、どうせなら周りの評判も高いsinsirに応募した。
 直電して面接の予約を入れる。受電した人は愛想が良かった。美容クリニックを出て、照りつける太陽光線を遮るためのえんじ色の庇が直角に張られたテラスでランチを食べながら客と店員の注目は刺激として浴びる。午後の大学の講義の眠気は、これは糖質を抑えるための作用であって、本当に眠いわけではないといって耐え抜き、チャイムが終わりを告げて、外に出たら空が気持ち青くなっていった。みんな何食わぬ顔でもう直ぐ畳まれる店でせっせと働く。今日は客足が途絶えることなく、ほとんど休むことができなかった。客は店が無くなることは知らないはずだがら、単なる気まぐれの繁忙かしらとか思いながら、発射した男性のどうでもいい話に調子を合わせる。仕事が終わり、ようやく外に出る。湿った外気が街の明かりが白く仄めき今度は地上が暗い夜の空を照らしているようだった。
 sinsirの面接の人は私の書いた履歴書をじっと見ているのだが、片方の瞳が飛び上がったようになっていて、その瞳は人物画のようにこちらを見つめているような気がして、落ち着かない。
「この大学は確か駅の反対口にあるよなぁ。友達に身バレすることとかは大丈夫なの?」
「友達がいないものですから。既にバレているんですけど、特にこれといった実害はないので、かえって大学から近い方が都合がいいというか、です。」
「度胸があるね。」面接の人が嬉しそうな顔をしたので、私もつられてにこりとする。
「正味な話、今風俗の方では働く子取ってないんだよね。まだ出回ってないんだけど、この街全体が一斉に風俗営業できなくなる条例ができるから、どこもかしこも廃業か業種の鞍替えをしてるところで、うちも例外じゃないの。だから、もし風俗で働くことを希望してるんなら、残念だけど雇うことはできない。」
 あぁ、だからウチの店もなのかと合点がいき、そしたら仕方ないからしばらくは無職で学生やるかと割り切り、気持ちはもう面接が終わったあとのラーメンに向かう。
「仕事は風俗じゃないとダメかなぁ。」
「えっ、いや、でもあんまりアブノーマルなのはちょっと・・・」
 私がそういうと面接の人は私の言葉を打ち消すように手を振り、隙間からガス漏れしてるような笑い方をしながら違う違うと言った。
「うちは派遣業もやってんのよ。いまちょうどできたばかりで人が足りてない会社があんの。君は大学生でこれから就活とかもあるだろうから、うってつけなんじゃないかなと思ったわけ。」
 えっ、風俗やりながら派遣って、風俗しながらボクシングジムやってる角海老系?多角的事業展開ってやつかしら。無い頭なりにぐるぐるとごきげんようの賽子の目にスポットライトを照てて、検分してみたけど、因果以外のセンサーは引っかからなかったんで脊髄で引き受けることにした。
 次の月から私はNOWHEREで働くことになった。投信の一部を切り崩して、仕事用の服を買い揃えようかなと思ったら、携帯に連絡がかかってきて、相手は面接した人からだった。
「支度金として口座にお金入れといたから、入り用に使ってよ。」
 スマホのアプリから口座を確認したら、10万入ってて、気前の良さに感動し、早速セレクトショップに走った。なんかどこもかしこもセレクトショップはプライベートブランドばかり置くようになってつまんねぇなと幻滅しながらも、さすが流行りに乗っかってるだけあってかわいいのもちらほらあり、とりあえず1週間のコーディネートには事欠かないぐらい両手に大きなショップバッグで購入。両親がいないときを見計らって、こっそり自分の部屋に納品し、何か言われた時には、仕事が固めの職場だから、セール品をまとめ買いしたと言い訳を仕込んどく。
 ベンチャー企業と聴いて思い浮かべたのは高層ビルの中に入った見晴らしがいいのに、中にいる人間は特にそれを気にすることもなく淡々と働いてる、これが現世紀のスノッブなのかと感慨のある情景であったが、実際に足を運んでみると、県外の使ったこともない電車の特急に1時間近く揺られ、車窓からの風景から建造物が自然に拭い去られていき、一面山林ばかりになり、その後に海がすっと現れた場所にあった。駅にはハイエースのおじさんが待っていてくれて
「バスも全然ないとこなんだぁ。」
と歯が抜けた口をニカッとして、会社へと送ってくれた。埋立地の上に建てられた元々は工場地帯であったものの、人気がなく、閉鎖してしまった建物ばかりがゆっくりと朽ちていってる。岩礁にはびっしりとウツボのようなものがくっついてて、潮の匂いが強烈に漂う。
「ここだぁ。」
ハイエースを降りると、巨大な倉庫が目の前にあった。壁は周りとの関わりを拒絶してるような無愛想なグレーで、倉庫自体はキレイなままなんだけど、なんかかわいげがない。入口には分厚い肉塊のような鉄製の頑丈そうな自動ドアとその隣にハイエンドな液晶のモニター、上からはカメラがっつり睨んでいて、厳戒態勢が敷かれてるよう。
「お待ちしてました。中へお入りください。」
 何事のないこの女性の案内がこれまでで一番私を固まらせる。筋肉は強張ってるのに、心臓が口をぱくぱく開けてるかのように律動して、脂肪は相も変わらずメレンゲのようにぽやぽやしてて、シナプスの神経伝達が不全を起こし、一つ一つの動作、言動がぎこちなく、うまくいかない。
 いわゆるオフィスという空間に足を踏み入れて、まだ始まってもいないのに緊張だけはクライマックスに達している。
 向こうからスーツを着た女性が近づいて来たとき、もう歩いてすらいられず、その場に立ち尽くしていた。
「はじめまして。ようこそお越しくださいました。」
深々と頭を下げられた。つむじが、とてもきれい、じゃなくって、私も挨拶しなきゃ。えっ、挨拶はどうするんだっけ。先に言葉から言わなきゃ、それともお辞儀してから。動作がバッティングしたことにより、場面緘黙に陥ってしまい、頭だけがじりじりと灼ける。
 相手と目を合わせることすらできない。すぐ目の前にいるというのに視神経がこの状態に耐えられなくて、意図的に視力を狂わせてくる。自己嫌悪に呑み込まれて首周りが窮屈になり、苦しい。
 その時、首が振動でガクンとなるぐらい何かが頭を打つ。燕ぐらいのサイズの鳥がバードストライクをしてきたのかと瞬時疑うが、ここは室内だからそれはないなと項垂れた頭が反動で元の位置に戻ると、前方の社員さんが手をさすってるのをみて、自分が叩かれたのだと気がつき、遅れて鼓動がどっと湧いた。
「緊張を解くのは物理的な打撃がよく効くの。にしても見かけによらず、あなたの頭、固いね。」
 私は頭の中では主にこの会社へと眼の前の人間に対するネガティブな感情が渦を巻いて、膨張し、まさに生まれようとしていたが、それは呑み込んで圧縮し、掠れた声ながら「はい」と返事した。
 社員さんの名前は、剣尾さんといった。シルバーフレームの眼鏡が切れ長の眼は、SMか言葉責めが似合いそうだった。緊張を解くためとはいえ、初対面のしかも女子大生の頭をハタくなんて、一体どういう人間なんだろうか。不安と恐怖が依然として憑きまといながらも、それでもさっきよりかは周りを見ることができた。
 外観とは打って変わり各フロアは壁の仕切りがない開放的な吹抜け空間だった。
 デスクと椅子が雑然と並んでいて、何人かが座ってPC作業をしている。
「1階は事務。ここの施設管理や経理、契約処理なんかをしてる。」
 働いてる人間は、私と同じぐらいの歳の子もいれば、年配のおじさん、おばさんもいて幅が広い。
「じゃあ、次は2階のBラボに行きましょう。」剣尾さんはすたすたと事務室を通り抜けて、突き当たりにエレベーターがあった。ただし、エレベーターには階数表示がなく、剣尾さんが首にかけたネームプレートを本来ボタンがあるはずの平面の位置にかざすと、そのまま垂直に動き出した。
 エレベーターの扉が開く。目の前はモーゼの十戒のように真っ二つに道が開き、1階のオープンスペースと同じ建物とは思えないぐらい、左右が寸断なく分厚い壁で仕切られている。
 両方の壁の前面には、大きくアルファベットのBがゴシック体で描かれているのだが、左手のBは上の曲線が出っ張り、右手のBは反対に下部が肥大化している。
「この階では2つの研究を行っているの。何をしてるのか興味ある?」
「はい。」
「じゃあ、とりあえず左岸に行こうか。」
 子供の頃に近所の男の子達と裏山に勝手に作った基地を思い出す。叢にぼろっぼろに錆びた模造刀のようなものを発掘して、彼らは金塊やツチノコを発見したかのような歓びようだったのを私は共感できなかった。女の子はお飾りのような存在だった。あの頃の男子との隔絶がなんとも切ない。あの頃は良かったなんて簡単に言えない。ただ、時間だけが潤沢にあっただけなんだ。でも、それだけに残酷さがずっと居座ってたりしたこともあったな。都合の悪いことは忘却の彼方にすっ飛んでってしまってるけど。
 剣尾さんから尻を叩かれる。過去の硝煙からこの現在に眼がぐりんと剥く。プレイの一環で尻を叩かれたことは何度かあるが、こんなにフラットに虫を払うような自然さで叩かれたことがなく、新鮮に感じる。
 もはや説明すらも省略して剣尾さんは先を歩くのに随う。映画館のようなごつい扉の取手は円になっていて剣尾さんが壁のセンサーにカードをかざすと小気味のいい音と共にロックが解かれ、中が開ける。
 最初に目に飛び込んできたのは、筋子色の高さをかさ増ししたメロンパンの形をした物体だった。銀のトレイにへばりついたそれは、無造作に机上に置かれている。
「今度こそ完成ですよね?前回、あと少しだったのにまたやり直したいなんて気難しい内向的な完璧主義のアニメーターかロックバンドのボーカルみたいなこと言い出したから、70年代に回顧して総括入れたくなりましたけど。」
「大丈夫。今回、少女の験体を外国から輸入してくれたおかげで奥歯に挟まった違和感が解消できた。」
「じゃあ今度こそあっちと結合することができますね。」
「あちらさんが色に狂ってなければね。」
 2人の会話は耳に入っていながら意識はどうしても後ろに向いてしまう。それどころか2人には背を向けて、異質さが際立つ赫色体に触れるぐらいにまで顔をぐんと接近させた。生命の生臭さ、これまでに嗅いだことがない。紫色と黒色を混ぜたような色味が所々ある。さっきから触れてみたくて仕方ない。
 そんな私の切望を嘲笑うかのように剣尾さんは目の前からトレイを奪い取ってしまった。口元は笑ってさえいた。
「ここで待ってて。今度は右岸に行ってくるから。」
 2人きりでなんとも居心地が悪いが、幸いというか、向こうは存在をガン無視していて、ひたすら画面と向き合っている。本来であれば派遣の身分を弁えて大人しくしているのが正解なんだろうけど、どうしても気になることがある。
「あの、一つ聞いてもいいですか。」
「何?」邪魔されて明らかに苛立ってる。
「いま剣尾さんが持っていったのって人間の脳みそですよね?しかもさっきのお二人の話から推測するに少女の、ですよね?」
「うん、そう。君より若いよー。」
なんだコイツ。でも、顔には出さない。
「どうやって、それ手に入れたんですか?」
「多分、東南アジアの比較的緩い国から輸入したんじゃないかな。若しくは紛争地?いずれにせよ国産じゃないよ。」
コンテナに格納された脳みそが貨物船に載せられ、ゆらゆらと海に揺られながら日本に送られる。見ず知らずの国に連れて来られた持ち主のことを思うと、戦慄するほどに気の毒だ。
「これって人身売買ですよね?なんで当然のように、そこら辺に存在してるのかなって、そのギャップが不思議なんです。」
「あぁ、そうゆうこと。研究用だから。最初の審査は厳しいけど、一回通っちゃえば次回からはそんなに難しくない役所の手続きみたい。人から聞いた話だけど。」
 この人の認識でいうと、人間の、それも少女の脳みそは研究対象としてか映ってないんだな。私なんかはこの脳みそを持った少女はどういう人間で何があって、こんな変わり果てた姿になってしまったのかといったことばかりが気になり、それを思うと勝手に心が痛んで、思わず、優しく触れたくなってしまいたくなったりしたのだが、でも、この場所においては、そんな風に思うことの方が変なのかもしれない。
 それから剣尾さんが髪がもじゃもじゃしてて、眼圧強めの男を連れて戻ってきた。
 この人、どこかで見たことがあるぞ。
「あっ、モジャ公」
私は思わず言葉に出してしまう。当の本人がゆっくりこっちを見る。
「おい、部外者がいるぞ。どういうことだ。」
 モジャ公が指を差してきた。
『オマエみたいな変態に指を差される筋合いはないわ。』
「な、な、なんだと⁉︎」
 心が発した言葉は、なぜかモジャ公の歪な耳の聴覚まで届いてしまい、モジャ公は顔がひん曲げて怒っている。
「まぁまぁ落ち着いてください。これから大切なイベントがあるんですから。あなたもいくらなんでも失礼よ。」
剣尾さんから注意されるが、当の本人の顔がニヤついてるので、きっと例の動画のことは知ってるのだろう。
 少し間があって、誰かがやって来た。
淡い光が顔を照らしていて、はっきり見えない。別に陽が差してるわけじゃない。この人自身が蛍のように発光しているのだ。人相はぼんやりとしていて、間近で人間等身大の蜃気楼を見ている気分になる。
 この中で実は誰かが既に死んでいて、フランダースの犬のように天界へ召すために天使が現れたんじゃないかと異様な実在を目にして私の頭は突如宗教とスピリチュアルがブレンドしたような推測が生まれた。しかし、次の瞬間、信仰は崩壊した。
 モジャ公が天使の手を握り、その唇があるところにキスをしたのだ。一瞬にして崇高な気分は冷めたが、モジャ公本人は至って真剣だった。
「何も恐れることはない。きみが、いや、きみたちが望んでいたものをようやく与えるときが来たんだ。」
 天使だった何かは静かに頷いた。
「OK、じゃあ早速始めましょう。」
 剣尾さんが号令をかけると、リセットをするとき細い穴に通すピンを手のひらサイズに大きくした真鍮の物体を、さっきまで会話していたいけ好かない人間が持っている。そいつはそいつで、神妙な顔つきをしていた。
 天使のこめかみに物体が差し込まれた。鍵を開けるように物体を右に回した時に、音が鳴った。特別大きい音じゃないが、それはそれまでとこれからの有り様を明確に分けてしまうような響きをした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?