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【小説】Ib.(b)001

 四季が巡り、春らしい長閑な気候の一日は、本来であればごくごく平凡な休日だったはずである。
 娘の沓子はお昼ご飯を食べたあと、小一時間昼寝をして、午後3時過ぎに目を覚ますと、行ってくるとだけ言い残し、外に出かけた。
 私は自宅で次の日の仕事の準備をしていて、妻は1週間分の食料を買うため、区境にある比較的品質が良く、良心価格の大型スーパーに車を走らせた。
 17時を過ぎても沓子は帰って来なかったのだが、私は作業に没頭していたため、その異変に気づかない。
「ごめんさい、遅くなっちゃった。」
そう言って帰って来たのは妻の方だった。
 我々家族は門限というルールを特別に設けることはしていなかった。小学2年生に上がったばかりの沓子は、これまで空が暗み始める前には必ず家に帰って来たからだ。
 長ネギが飛び出たのと冷凍食品が底の方で冷気を放っていた2つの買い物袋はキッチンの床に捨て置かれたまま、私と妻は沓子を探しに出た。
 いつもは通り慣れた筈の道が、その時は異界のように映る。曲がり角の向こうに一縷の望みと現実の絶望が待ち受けていた。
「沓子は、どこに出かけていったの?」
「場所は言わなかったんだ。こっちから聞くこともしなかった。すまない。」
 私が謝れば妻は大概のことはその場でいいよと許してくれたが、この日は何も返事をせずに、ずっと前を睨んでいた。
 子どもの足で行けるとこなんて限られている。公園、図書館、友達の家、駅前の商店街。我々は一軒一軒しらみ潰しに当たった。今にして思えば、別々に行動した方が効率的だったかもしれない。しかし、一人っきりになると恐ろしいことが次々に頭に浮かんでしまうから、並列行進をしているかのように私と妻はくっついて歩いた。
 沓子はどこにもいなかった。私もそして妻も沓子の同級生の親たちとそれほど密な繋がりを持ってはいなかったが、それでも何人かは連絡先を交換し合っていたから、移動しながら連絡を取ってみたが、どの返事も来ていないだった。以前通っていた保育園にまで連絡を取ってみたが、結果は同じだった。
 心に影が忍び寄るように空もまた黒くなっていく。方方を探し尽くし、打つ手がなくなり、精神的にも限界だったので、仕方なく警察に連絡をした。
 娘が行方不明である非常事態も、彼らにとってはなんて事のない日常のような態度だった。電話口の淡々とした語り口にかえって心が乱された。
 家の中で私と妻はダイニングテーブルの椅子に座り、ずっと黙っていた。嫌な沈黙だった。お互いがお互いを牽制しているような硬直状態が長く続いた。私は空腹だったが、食事を切り出すことなんて到底できない。その日、我々2人はずっとダイニングテーブルに座り、一言も言葉を交わすことなく一夜を過ごした。
 朝日がカーテン静かに濡らし始める。残酷なまでに美しい夜明け。ずっと同じ姿勢でいたせいで関節はズタボロ、悲鳴を上げているが、いかんせん沓子の安否ばかりが頭を占めているので痛みはなく、ただ怠い。
「仕事に行ってくる。」
 妻は憔悴しきった顔を私に向けて、微かに頷いた。
 洗面台の私もまたありありとした疲労が人相に乗っかっていた。それでも裸になり、シャワーを浴びて、脇の下と下半身にボディーソープをつけて洗い流し、無遠慮に生えた髭をシェーバーで丁寧に剃り上げると、気分がほんの少し軽くなった。
 洗い立ての肌着に土曜日に自分でアイロンをかけておいたYシャツ、クローゼットに掛けられたいくつかの中から一つ取り出したスーツに着替えると、今まで身につけていた部屋着が重しのように精神的な負荷をかけていたのかと思うぐらい、解放感があった。
 もちろん未だに沓子が見つからないことに変わりなく、むしろ状況は悪化をしており、強大な不安の渦中にいることには違いないのだが、気分は幾分和らいだ。
 妻はまだダイニングテーブルに座り、彫刻のように身じろぎ一つしない。家に一人残すのは心配ではあったが、やむを得ず、何かあったらすぐ連絡して欲しいと言い置き、私は仕事に出かけた。
 沓子がいなくても街の風景は一つとして変わらないことに心が乱される。せめて、どこかの建物が倒壊でもしててくれないと到底収まらない。
 いつも通りに停車する電車、乗客が詰め込まれた車内、先週と変わることのない時間が流れている気がする。
おい、ウソだろ。娘が、沓子が昨日から戻って来ないんだ。
私はずっと孤独に声に出すことなく車内で叫んでいた。だからもちろん誰も私の状況について気がつくことはなかった。
 その内に私にも変化があった。具体的には食欲についてだった。昨夜から何も口にしてない急激な反動が今になってやって来る。内容物がある時期から全く落ちてこないことに業をにやした胃が凄まじい悲鳴を上げている。あたかも飢餓により胃が胃自身を咀嚼して糊口をしのいでいるかのような内側がきつく締めつけられる抑えがたい衝動だった。
 私は気がつくと電車を降りて吉野家の牛丼に入っていった。そして、反射的に朝牛セットを頼んでいた。そして、店員が運んできたのをひったくるようにして、勢いよく口の中に掻っ込んだ。それは食事というより、一刻も早く胃の中に内容物を入れる作業だったのである。
 最初は胃が突然の内容物の飛来に驚き、咽せてご飯粒が方々に飛び散ったりしたが、水を飲み込み、強引に収めた。そうだ、水ですら一滴も飲んでいなかったのである。身体のライフラインが止まりかかったような危機的状況だった。
 しばらくして、私の眼からは涙がとめどなく溢れてきた。それは自分ばかりがこのような温かいご飯を思う存分食べていることへの贖罪の涙だった。今頃、沓子は食べることもままならず誘拐されて、想像することさえ戦慄が走る恐ろしい目にあっているかもしれないのに、そして、家では不安の牢獄に閉じ込められた妻ががんじがらめ、身動きが取れない状態になっているというのに、自分は仕事にもいかないで無心に牛丼を頬張っている。卑しくも紅生姜や七味唐辛子を添えて、より味わいに彩りを添えてすらいる。ただ、箸を口に運ぶのを止めることはできない。
 結局、私は牛丼並みを更に追加して食べてしまった。そして、それが禁断の果実であったように、昨夜の不眠による眠気と疲労が一斉に襲ってきた。私はなんとか職場に連絡し、体調が悪いので、遅れて出社することを告げて、電車の簡素なベンチに身体を預け、そのまま意識を失うように眠った。
 身体はもっと眠りを必要としているのに、誰かが激しく揺さぶり、大声で呼んでいる。まだ夢の最中にいながら、現実世界から言葉が侵入してくる現象を私は生まれてから初めて体験した。
 重たい瞼を嫌々ながら開くと、ぼんやりと制服を着た人間が複数人いたのだが、顔の位置が前後逆さまになっているので、これも夢の中なのではないかと私は訝った。睡眠中に尿意を催していたりすると、起きてトイレに行って排尿している行為自体が夢だったりすることがあるからだ。
「大丈夫⁉︎こんな所で寝ちゃ駄目だよ!」
 前後逆さまの顔をした制服を着た人間が、嫌がらせのように私の顔に接近しながら大声で叫んでる。どうやらこれは現実なのだ。そして、何か固いものが私の頭に噛みついている。だから、後頭部が痛い。
「大丈夫⁉︎立てるか?」
 私への語りかけが脳裏にベンチで眠っていたことことを思い起こさせる。そのまま意識を失うように眠り、ベンチからずり落ちて地面に倒れてしまった姿が今の私なのだということに気がつく。後頭部が痛いのは倒れた時に打ちつけたのかもしれない。手は、動いた。足は、、動いた。私はゆっくりと起きあがろうとしているのに、制服の男はおせっかいにもひっぺがすような強引さで起こそうとする。
「大丈夫⁉︎救護室で休むか?」
 さっきから頭に大丈夫とつける割には、ずいぶん荒っぽい。私はようやくその声の主と正対すると、駅員ではなく警官だったので、納得する。頭がまだくらくらするが、このままこの場に残っているのは体裁が悪いし、いい加減会社にも行かなければならないので、その場を後にした。
 人倫に悖る行為
 鬼畜の所業
 命だいじに
 会社の前に立ち並んだ看板を私は足早に通り過ぎる。以前は活動家が団体となって拡声器や大太鼓で以って私たちへの非難声明を繰り返していたが、機動隊が出動して警棒やシールドで彼らをこっぴどくぶっ叩き続けたら、少なくとも日中には現れることなくなった。彼らが運んできた看板だけが置き土産として残っている。
 ブロッコリーLABには、実験用の生きた人間が定期的に運ばれてくる。もちろん社会的な滅菌処理が丁寧にされた治験者たちなので安心だ。研究職の医師たちが治験者に開頭手術を施し、脳の各分野に対して事前に定められた実験を行い、その結果を記録していく。実験内容は社内と国の公的機関が厳格に審査をした上で許可が下りている。医師たちの成果は、私たちの所属するIT技術者に共有され、私たちは人工頭脳を生成するために最適化したプログラミング言語を組み立てていく。政府の異次元特区制度により人工頭脳分野は飛躍的な発展を遂げている。しかし、暇を持て余した活動家や一部メディアからは徹底的に嫌われていた。
 私は午後のカンファレンスから参加したが、頭は上の空だった。
 モニター画面のプログラミングチェックをしても、同じ行ばかり目で追ってしまい、全然進まない小説のようだ。
 プログラミングもまた物語と同じように相互が有機的に連なっている。心がここに無ければ、それは単なる記号の羅列に過ぎないのだ。だが、幸いなことにこうして画面と睨めっこしていれば、周りからとやかく言われることのないありがたい職場だ。
 仕事は捗らないが、現実が突きつけられるから家に帰るのも気が進まない。背後でガラスが割れたように日常が崩壊したとしても、私の眼に映らなければ、願望は生き残ってる。
 しかし、それも20時を過ぎて頃には不安が勝るようになってしまった。私は突然、泡を喰ったように帰り支度を始めため、周りはさぞびっくりしたことだろう。夜空の暗さが不安を掻き立てる。電車だろうが、横断歩道だろうが、心は休まらない。家が近づくにつれて尚更乱れるばかりだ。
「ただいま。」
 家の中はしんと静まり返っている。電気も付いていない。私は気持ちを落ち着けようと洗面台で手を洗い、うがいをしたあと、水で顔も洗った。
 ダイニングテーブルに座っていた妻もいない。私は真っ先に沓子が警察に保護されて妻が迎えに行ってる可能性について考えた。しかし、直後には反対の可能性が私の心に巣食った。ここにきても気分は休まらない。
 そして、私は自分でも自然なぐらいトイレに行き、自慰行為を始めた。何も欲情したからではない。少しでも気分を鎮めるために私は射精をする必要があったのだ。
 元々疲労が溜まっていた身体は、刺激に飢えていて、ぺニスは呆気なく反応し、少し擦っただけであっという間にイった。
 何もかもが薄まり、効果はあったが、身体がぐったりし始め、また眠気が出てくる。そして、ここに至って私は妻の携帯に連絡することに気がついた。
「もしもし。」
「今、どこにいるんだ?」
「警察よ。何も連絡せずにごめんなさい。私も気が気じゃなくって。」
「それで沓子は?どうだった?」
「沓子は......」
 答えるかわりに聞こえてきたのは、堰を切ったような慟哭の音だった。私は、携帯をその場に落としてしまい、放心したような状態だった。部屋の照明の明かりが泡のように揺らめいていて、耳鳴りに似た音が耳の奥で絶え間なく発せられた。
 沓子はあかたも道路の陽だまりの中に落っこちてしまったのではないかと思うくらい、なんの痕跡もなく、消えてしまった。後に残されたのは、沓子が出かける時に身につけていたポシェットだけだった。警察が巡回捜索をしていた時に道で拾ったのだという。妻が警察に呼ばれたのは、これが見つかったという連絡だった。
 誤解を恐れずにいえば、私は死体であっても沓子にまた会いたかった。このまま、二度と姿を見ぬまま沓子と別れることは耐えられなかった。生きてるのか死んでるのか分からぬまま月日だけが過ぎていった。葬儀をあげることすらできずに我々は沓子の喪失を受け止めねばならなかった。
 それは、ごくごく正直に地獄だった。

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