ドイツ国際平和村

私が23年間これまで生きてきた中で、1、2を争うほど思い切って行動に移して自分らしくいられたと思える期間。その一つが『ドイツ国際平和村』!

ドイツの北西部にあるオーバーハウゼン市に位置し、1967年に紛争や危機的状況にある地域の子供達を援助するため設立されました。 

活動内容:戦争や紛争・危機的状況の中でケガや病気を抱え、母国では適切な治療を受けられずにいる子供達への治療。治療が受けられそうな子ども達を厳選して、ここドイツ国際平和村に連れてきて治療を無償で提供する。 詳細はこちら http://japan.friedensdorf.de/

国際協力に関心をもっていた私は高校大学で身に着けたドイツ語を活かしながらできることはないかなぁという経緯で見つけました!        当時、私は生後11カ月から16差未満のアフガニスタンやウズベキスタン、キリギス、アンゴラ、ウガンダ等の子ども達の身のまわりのお世話をするボランティアに携わっていました。

朝番、遅番の2交代制シフトで現地スタッフと混じって働いていました。 生後11カ月~3歳くらい、3歳~6歳、10歳くらい~16歳の3つに男女別に 寝る場所は分けられていました。私たちボランティア生は毎日任務が始まる前の「今日はどこ担当」になるのかドキドキしていました。       たいていは「幼児」あるいは「10歳~の女の子達」担当にあたります。  日本人は働き者なのと素直だからというドイツ人の評価により、幼いがゆえに言うことを聞いてくれない幼児担当にあたります(笑) 

朝は子どもを起こして着替えさせ靴を履かして、配膳、シャワー、おむつをかえ計測したり、遊ばせたり等、日常生活のお手伝いを毎日していました。  一見日常的なことで簡単じゃんとお思いになるかもしれませんが、これがなんと大変なんです(笑) スタッフとボランティア生2人で幼児15~20人弱をみなければならないので正直「静かにぃぃ」と声をあげることもありました。特に最初は言語も文化もちがう×ケガや障害を持った子ども達の面倒を見ることの難しさに大変苦労しました…。最初の1か月は寮に戻ってもすぐに就寝するくらい疲れはてて、一回熱を出したことがありました。

子どもを面倒みること、それも長期間。初めてなことだらけでしたが、私はいままで見たことのない障害や怪我をもつ子ども達の背景を理解した上で、彼らと向き合うことの大切さを実感しました。

そんなこんなで始まった平和村生活の中で出逢った心の支えとなったかけがえのないボランティア生達、彼らから得たことついて後々書き綴りたいと思います!



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