龍涎香

かれこれ十余年、戯れに色々書いています。 基本無気力。遅筆。 書くことがカタルシス。

龍涎香

かれこれ十余年、戯れに色々書いています。 基本無気力。遅筆。 書くことがカタルシス。

最近の記事

私と”私”、私と誰か

 今は昔、高校生だった私は思春期特有の、或いは度を超した捻くれ方をしていた。それまで他人とどのようにして関わり合っていたのかが皆目分からなくなってしまったのである。小中学生の頃は『真面目な生徒』を装いつつもそれなりにコミュニケーションが取れていたものだ。それが、高校生になるや、どれ程の距離感を持つのが適切で、どう接するのが互いに心地良いのかを異常なまでに意識してしまうようになった。  かといってクラスメイトや部活動の仲間らと全く交流を絶って終日連日独りだった、という訳でもない

    • 春、別れの季

       晴れて高校を卒業した日、捻くれていた(或いは拗らせていた)私は皆が銘々のグループと談笑しつつ別離を惜しむのをよそ目に、ひとりそそくさと学校をあとにした。桜の樹の下にある校門を抜け出たのは、一時間少々の式で『蛍の光』と『仰げば尊し』という聊か古式ゆかしい唱歌を、年頃の学生に特有の訳も無い羞恥を覚えることもなく朗々と歌い上げ、式後クラスルームに戻って担任の”それらしい”御高説をさらりと聞き終え解散した直後だった。  率直に言って、心には、強がりが満ち満ちていた。「淋しくなんてな

    私と”私”、私と誰か