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生涯の師

「ハングリーであれ。愚かであれ(Stay hungry. Stay foolish.)」。

多くの人々の心を打った米国スタンフォード大学卒業式でのスティーブ・ジョブズのスピーチは、ジョブズが信奉した禅の精神を思わせるメッセージに満ちていました。禅は自身にも製品にも血液のように入り込んでいました。

その原因にスティーブ・ジョブズが追いかけ回した生涯の師がいたのをご存知ですか?永平寺からカリフォルニアに派遣された日本の禅僧でやがてジョブズ邸に同居、アップルを追放された時期のジョブズを支えました。
「衆生無辺誓願度」彼もまたジョブズと付き合いがあったことを語らず、溺れる我が子を助けようとして、鬼籍に入りました。

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「もし今日が人生最後の日だとしたら、いまやろうとしていることは本当にやりことだろうか」スティーブ・ジョブズは30年間毎日、この言葉を鏡に向かって語り続けたそうです。


この言葉の元は、ジョブズが憧れた永平寺の開祖、道元禅師の弟子が書いた『随聞記』にあり、『随聞記』は道元禅師の教えが満載。そこに有名な言葉の元となる「古人(孔子)いわく、朝に道を聞いて夕に死すとも可なりと。いま学道の人も此の心あるべきなり」という、今日を最期の日として、最善を尽くして生きることの大切さを説いた言葉があります。

また、江戸中期に武士の心得として、今も読み継がれる名著『葉隠』にも、同様の一節があるようです。
『葉隠』は、ジョブズの愛読書『弓と禅』を書いたオイゲン・ヘリゲル にも、多大な影響を与えています。

ジョブズは、禅を通して、想像以上の影響を受けていたようです。
そこには永平寺から派遣された乙川弘文知野弘文という禅僧の存在がありました。

乙川弘文はカリフォルニアで禅センターの「教師」をしていて、ジョブズは「生徒」でした。裸足に長髪、ヒッピー然としたジョブズはワイルドだったと言います。

ジョブズは、 弘文に心惹かれていたようで、よく行動を共にしていて、Appleを追い出された頃には弘文はジョブズ邸に同居するようになり、ジョブスの豪邸を「心月亭」を命名するほどになります。

衆生無辺誓願度」(しゅじょうむへんせいがんど)をモットーに暮らしていた弘文は、お金にも、生活スタイルにも自由で、コンピュータのことにも関心がなく、本質だけは大事にしていたようです。
ジョブズが日本からやってきた「破壊僧」に心惹かれた動機もそのへんにあったようです。

「衆生無辺誓願度」とは、衆生をかぎりなく苦悩から救っていこう誓願する意味です。
弘文はスティーブ同様非常に複雑な人だったようで、なかでも共感を超えて嫉妬すらしたのが、先を見る眼だったようです。

なので弘文を追いかけ回すほどスティーブは必要とし、生涯の師として多く(=禅)を学んだようです。

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無常迅速」という言葉があります。

「無常迅速を悟って今をしっかり生きることが大切だ」というように、万物の生滅転変の速やかなこと。人の世の移り変わりの極めて早いこと。
転じて、人の一生は短く、死期が思い掛けず早く訪れることのたとえ。

「無常迅速」という言葉通り、人の世の移り変わりが速いと考えるのは、禅の基本思想。いつかはやろう、と先延ばしにする心の緩さでは、結局は何も達成できない。なかなか当てることができなかった矢をついに的に当てることができたのは(一当)、百回失敗しても諦めなかった努力によって支えられている。この「百不当」の精神で不断の努力を続けることが重要だ。

百不当」も道元禅師の道元禅師 『正法眼蔵 説心説性の巻』からの教えです。弓で的を射ようとしても一向に当たりません。百回やって百回とも当たりません。しかし、その当たらない矢をあきらめずに何本も放って修練を積むうちに、その修練の力によってやがて当たるようになります。
その的を打ち抜いた一当の矢は、それまでの「百不当の力」であり、「百不当の一老」、「百不当の蓄積」なのです。

二人は時間があると、「デニーズ」で待ち合わせたそうです。
決まってジョブスが水を飲み、禅僧弘文がパフェを食べていたそうです。

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