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釈迦の仏教は、こうして空海に継承された

空海は釈迦の仏教を継承したのでしょうか。それとも大乗仏教の一派として真言宗密教を旗揚げしたのでしょうか?諸説あるなかで大日如来とは?
気になる疑問に、答えます。奈良東大寺の大仏の正式な名称は毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)、良弁の説く華厳経の教理では釈迦如来と同一であり、一切万物を救済する仏とされます。また空海の説く大日如来とは毘盧舎那仏のことです。


「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」これらの言葉の意味は知れないけど聞いたことはあるという人は多いでしょう。

三法印(さんぼういん)は、仏教教理の特徴をあらわす三つのしるし。
あらゆる現象は変化してやまない諸行無常(しょぎょうむじょう)、いかなる存在も不変の本質を有しない諸法無我(しょほうむが)、迷妄の消えた悟りの境地は静やかな安らぎである(涅槃寂静ねはんじゃくじょう)の三つをいいます。
これに一切皆苦(いっさいかいく)を加えて『四法印』とすることもあります。

「法印(ほういん)」の「法」は仏法の法で、真理ということです。
仏法とは、仏の説かれた真理のことです。
ですから「法印」とは、仏の説かれた真理の印ということで、仏教が真理であるあかし、ということです。

つまり「法印」以外にも印となるものがあることを意味しています。たとえば「旗印」です。

旗印

「旗印」というと、戦国時代、味方と敵を区別する目印として使われた旗です。例えば有名なものに、

  • 武田信玄の「風林火山」

  • 豊臣秀吉の「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」

  • 真田幸村の「六文銭」

  • 織田信長の、「永楽通宝」があります。

「明」(当時の中国)の皇帝「永楽帝」が作らせた通貨で、江戸時代初期まで実際に流通していたことでも知られています。これを採用した理由に、織田信長は「楽市楽座」を始めたと言われているなど、領国経営では、特に経済・商業政策を重視していた戦国大名であることから、貨幣経済への関心が高かったと言う説が有力だそうです。一方では「永楽帝」は都を北京に移し、モンゴル高原・ベトナム北部などに領土を拡大。さらに鄭和の大航海により朝貢世界をひろげ、明の全盛期を現出させたことでも有名ですが、信長らしい選択だったようです。

これらの旗印によって、誰の軍勢か、一目で分かったのです。今でいうなら国旗がそうですね。だから他国の国旗を踏みつけたり、引き裂いたりする人がいます。

「三法印」「四法印』


「三法印」「四法印」は仏教以外の宗派と違いを明確にする意味があったと言えます。
仏教には、数多くの教えがありますが、お釈迦さまが説いたものと、そうでないものが混在しています。仏教は長い歴史の中で、他の宗教では見られない極端な多様性持っています。

そのせいで独自性を見失った得体の知れない宗教になっている可能性もありますが、大乗仏教が打ち立てた衆生救済の点から考えると何らかの救済案を提示できる万能性の高い宗教になっているということができます。

蘇我VS.物部の仏教抗争

多様性を生み出した効用のある大乗仏教の存在価値からすれば、現代に合った価値を見出すことができるといえます。

しかし裏返すと危険な作業です。なぜならそれは、いくらでも新宗教を作り出せてしまうからです。

芯となる部分をなくしては単なる方便になる可能性のあることなのです。その方便を疑いもせずに強引な見解を示す宗教学者も見かけます。

その意味でも「釈迦の仏教」と「大乗仏教」を切り分ける智慧をもたなければなりません。なぜなら釈迦の唱えることが絶対正しいとは誰も言い切れないし、日本に入ってきたのは「大乗仏教」以降だし、当時の日本には、個人のための宗教ではなく、仏教には国家を守護・安定させる力があると鎮護国家の思想が色濃く反映されていました。

宮沢賢治が帰依した法華経

大乗仏教に分類される代表的な仏教経典としては、般若経(般若心経はその核心を簡潔に記したもの)、法華経、浄土三部経、華厳経、(大乗の)涅槃経、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経/だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)、金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)などが挙げられる。

大乗仏教では特に般若波羅蜜(智度)が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説されたこと、如来蔵説(にょらいぞう)が唱えられたことなどがあります。

これは、衆生皆菩薩・一切衆生悉有仏性・生死即涅槃・煩悩即菩提などの如来蔵思想や、釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観(地獄や空色を含む大千世界観)へと発展していきました。

そうした教義を明確に打ち出した経典として『華厳経』、『法華経』、『浄土三部経』、『涅槃経』などがあります。
また禅宗は、坐禅を中心とした修行による解脱を説くものであるため、その点において、自力の修行による解脱を説く「釈迦の仏教」との共通性があるものの、清掃、畑仕事、調理などの労働行為を「作務(さむ)」と呼んで、積極的に修行の一部としています。
これらは「釈迦の仏教」にはありえないことです。

自己鍛錬によって自分の解脱をはかることより、他者の救済を優先する利他行とは、大乗以前の仏教界で行われていたものではありません。明らかに「釈迦の仏教」は変容してしまっていることの証です。

その中でも特に基本的な教えとされているのがお釈迦さまが説いた「法印」です。

お釈迦様、は何を説いたのか

バラモン教

そもそもお釈迦様の説いた教えはなんだったのでしょう。日本には大乗仏教以降の教えしか入ってきていません。

  • バラモン教古代インドの民族宗教。 前13世紀ころ,アーリヤ人がインドに侵入し,そこで成立させた宗教。 ベーダを根本聖典とするので,ベーダの宗教とも呼ばれる。 司祭階級であるバラモン(ブラーフマナ)をカーストの最上位に置き,王族,庶民,隷民の順に厳格なカースト(身分)制度を確立した。

  • 1世紀から3世紀にかけて、仏教に押されたバラモン教が衰退した後、4世紀頃にバラモン教を中心にインドの民間信仰を取り込んで再構成されヒンドゥー教に発展する。

    この際、主神が、シヴァ、ヴィシュヌへと移り変わる。バラモン教やヴェーダにおいては、シヴァやヴィシュヌは脇役的な役目しかしていなかった。 シヴァは別名を1000も持ち、ヴィシュヌは10の化身を持つなど、民族宗教を取り込んだ形跡が見られる。4世紀頃にヒンドゥー教へ発展消滅。

  • ブッダは、「一切皆苦」の謎を解く旅にでて宗教にも答えを求めたが、宗教ではヒトは救えないとして修行に打ち込んだ。その大きな要因はカースト制でした。カーストに関係なく誰でもアクセスできるとことが必要だと信じていたのです。そこで「釈迦の仏教」が誕生しました。それは自己鍛錬が中心で利他行は含まれていません。生きながらにして仏になれるとした衆生救済の「大乗仏教」です、

  • 15世紀、イスラムにインドが支配された時代に、一般のヒンドゥー教徒はイスラムの支配にしたがったが、イスラムへの従属をよしとしない一派としてグル・ナーナクによりシク教が作られた。

「法印」すなわち「三法印」あるいは「 四法印」とは、すべての存在に共通する法則を表す教えであり、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静の四つの真理から構成されています。
お釈迦さまが説かれた四つの真理について、詳しく解説していきますが、四法印のなかでも釈迦のど真ん中から説明します。

思いやりや共感を促す「諸法無我」は釈迦のど真ん中

「諸法無我」とは、仏教の教えの一つで、あらゆる存在が自己独立的に存在するのではなく、諸法によって成り立っているという考え方で釈迦の仏教の中心となる考えです。

この教えは、個々の存在が独立的な存在ではなく、全体としての関係性によって成り立っている「相互依存」であることを教えています。「相互依存」はウェルビーイングの重要な概念であるWholebeing(ホールビーイング)やマンダラチャートの基本的な概念です。

「Wholebeing(ホールビーイング)」とは、Whole(全体)と、being(ありかた)を合わせた用語で、「全体性を持ったあり方」のような意味で使われています。ホールビーイングを追求していくと「一人一宇宙だけど、繋がることで、大宇宙を形成している」原理原則に気づきます。

SPIREモデルを提唱したポジティブ心理学の権威タル・ベン・シャハーによれば、幸せやウェルビーイングについて語るとき、精神的なものだけに重きを置いてしまい、身体についての話が抜けていたり、逆も然りですが、幸せについて考える時に重要なのは、「全体性(Wholebeing)」だと説きます。つまり行動することでオープンになり繋がらないことも、繋がることもできるのです。

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私たち一人ひとりが、一つの社会や地球社会の一員であり、他の人や生き物、自然と共に生きているということを再認識することで、あらゆる存在に対する思いやりや共感を養うことを説いています。

また、この世界ではあらゆる存在が相互に依存し合っているということも示しています。私たちは孤立した存在ではなく、全体としての一部であることを思い起こさせてくれます。

「諸法無我」の教えは、私たちに自己中心的な考え方を超え、広い視野を持って世界を見ることを促すものです。自己を省みることで、他者に対する配慮を持ち、豊かな心を育むことができます。

「諸法無我」の教えは、万物は、”宇宙に存在するすべてのもの”という意味で、万象は、”宇宙に存在するすべての現象”という意味。つまり、この宇宙のすべてのものごとは、縁起によって生じ、存在しているのであって、永遠不変の存在(我)は無いという真理です。個人だけでなく社会全体にとっても大切なものであり、生涯学び続けることが求められるといえるでしょう。

なにごとも、単体で、他と何の関係もなく生じたり、存在したりするものはないということです。すなわち、この世のすべてが、つながりをもち、相互依存の関係で存在しているのです。

われわれのからだを例にとっても、人間の肉体は60兆の細胞ネットワークでできていますが、それらは酸素・水素・炭素・窒素といった三十種の元素から成り立っていて、それらはみな、なんらかの形で地球上の生物・無生物から供給を受けていると同時に、なんらかの形で、宇宙に返しているのです。

一例をあげると、人間は植物が吐き出してくれる酸素を吸って生きており、植物は、人間その他の動物が吐き出してくれる炭酸ガスを取り入れ、炭水化物に変えることによって、成長しています。

つまり、われわれ人間をはじめ生物・無生物のありとあらゆるものは、孤立して、単体で存在する「個」ではなく、多くのものが、シェアしながら存在しているものだとわかります。

目に見えない、耳に聞こえない、多くのモノやコト、つまり眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識の実体として存在する六識(六根)によって生かされて・・・・・いるのです。

この諸法無我という教えを、それぞれの人生の上に、どう生かすべきか?
地球を使って生きている責任という点で、全員がするべきことを背負って生きています。私、自らが考えて行動する責任があり、そのときに調和と創造を果たすようにしなければなりません。

釈迦の心を集約したまず第一に、自分の食べる物・着る物・住む家、その他身辺のすべてのものが、無数の多くの人々によってつくられ、運ばれ、供給されたものであることを思い、同時に、自分のはたらきが無数の多くの人々に必ず影響を及ぼすものであることを深く考え、認知し、行動しなければなりません。

それが慈悲のこころであり、慈悲そのものなのです。空海の真言宗は大乗仏教ですが、満濃池から推察できるように、経典を越えて、慈悲を実践することで、釈迦の心を継承したのです。

釈迦の心とはなにか。自灯明・法灯明です。

自らをともしびとする。 自らをよりどころとすると同時に、仏の教えを示した真実のことば、ダルマ(法)をよりどころとし、ともしびとしていかなければならない。

自灯明・法灯明

「四法印」は、釈迦の仏教の中心的な思想であり、人生における苦しみや迷いを解決するための教えです。これらの教えを理解することで、人々は自己の内面を深く見つめ、真の自己を取り戻すことにつながります。

「四法印」には、私たちが幸福に生きるためのヒントがたくさん詰まっています。

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