見跡:ブッダの歩みを追いかけて
人には仏心があります。仏心とはどういうことでしょうか?
仏心の仏とは、死んだ人のことではありません。
仏とはブッダ(釈迦)のことです。
「人には仏心がある」とは、「ブッダになれない人はいない」という意味です。
精進次第で、誰でもブッダになれるのです。
ブッダの心とは、最初の教えである「四諦(したい)」に凝縮されています。諦とは真理のことで、「四諦」の意味は次のようなものです。
この世はすべて苦である。「苦」は自分ではコントロールできない「生・老・病・死」の苦しみを指しています。
その苦の因は煩悩(ぼんのう)である。
その煩悩を滅するには、八正道の実践・修行があるのみ。
八正道が、煩悩を滅した理想の涅槃(ねはん)に至る手段であるとしています。解決法として説かれた「八正道」を構成しているのは以下の行程です。
広く認知されているマインドフルネスは八正道から誕生しました。
1.正見(正しい見解)
2.正思惟(正しい考え)
3.正語(正しい言葉)
4.正業(正しい行為)
5.正命(正しい生活)
6.正精進 (正しい精進)
7.正念(正しい思い)
8.正定 (正しい禅定)
「八正道」は、80歳を目前にして死期を悟ったブッダは、これまで説いてきた集大成として、弟子たちを「重閣講堂」に集めて説かれたものです。
「四諦」は「苦集滅道(くじゅうめつどう)」「四聖諦(ししょうたい)」とも言われています。
避けられない苦を避けようとして煩悩を生んでしまいます。心身にダメージを与える煩悩は実在するものではなく、心が勝手に生み出したもの。
心が勝手に生み出さないようにする対策が「瞑想」です。
瞑想の力を信じられない人は、仏教にも瞑想にも関心すら持たず、見せかけだけの快感に走りますが、依存心を強くするだけで、より刺激的な依存対象を求めます。
すべては幻想でしかなく時間とお金という大切な資源を使うことに夢中になります。
煩悩のエネルギーは、仏教でいう潜在意識の奥にある根本心「阿頼耶識(あらやしき)」に、こびりついていて、「末那識(まなしき)」と言われる自我執着心に作用して、顕在意識と連動して煩悩を生み出すのです。
顕在意識は自覚できますが、潜在意識が顕在意識をチクチクと突き刺すようにいじくるので、煩悩はなかなか消えません。
潜在意識に潜り込んで蓄積されていき性格になるだけでなく、何かの拍子に煩悩に火を点けます。
ブッダの教えは、煩悩の火を消し、涅槃への道筋を示したもので、「十牛図」二番目の絵「見跡」では、ブッダの跡を追えという意味で表現させれいます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?