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「四門出遊」から始まった

人生100年時代、人生200年時代、どちらでもいいですが、成瀬あかりは200年生きると宣言しています。

大切なことは「涅槃寂静」で暮らせるかどうかです。
涅槃寂静とは、「涅槃」と「寂静」2つの単語をひとつにしたもので、涅槃に行ったらひっそりと心静かな環境で平和に暮らせるという意味です。サンスクリット語で「地上の楽園」を意味する空間です。

地上の楽園がどうして涅槃寂静になるのか、不思議な国のアリス状態ですが、涅槃寂静は仏法の基本的な教え「三法印」「四法印」のひとつです。

はい、こんにちは、涅槃寂静で歩き遍路する仏法ファンのFP,アセットドクターの三宝院沙門です。今回は、四門出遊からはじまり「涅槃寂静」の境地にたどり着いたお釈迦様の歩みを振り返りながら仏教についてお話したいと思いもいます。

人生100年時代、人生200年時代、どちらでもいいですが、成瀬あかりは200年生きると宣言しています。大切なことは「涅槃寂静」で暮らせるかどうかです。

涅槃寂静とは、「涅槃」と「寂静」2つの単語をひとつにしたもので、涅槃に行ったらひっそりと心静かな環境で平和に暮らせるという意味です。サンスクリット語で「地上の楽園」を意味する空間です。地上の楽園がどうして涅槃寂静になるのか、不思議な国のアリス状態ですが、仏法の基本的な教え「三法印」「四法印」のひとつです。

仏教は2500年前に、王子(ガウタマ・シッダールタ)だった釈迦が「王子として王城にいた時、東西南北の四門から出遊して四つの事件を見て気づかれたことがはじまりです。

お城は、城壁が城内を囲むように作られていました。
お城には、東西南北の方向に四つの門があり、外の世界と繋がっていました。

シッダールタ王子は、四つの門から出てみました。
東の門から出ると、苦しむ老人がいました。
南の門から出ると、やはり病人が苦しんでいました。
西の門を出ると、火葬場に運ばれていく死者がいて、悲しみにくれた人に囲まれていました。

シッダールタ王子は、四苦八苦の四苦である、「病」「老」「死」を知り、「生」には苦しみが満ちていることに初めて、気づきます。

実はお釈迦様も自分を産んだのと引き換えに亡くなられたお母様に「罪悪感」を感じていたのです。

そして残る北の門を出ると、そこには、苦しみのない平穏な表情の「出家者(沙門)」がいました。

シッダールタ王子は、自分に与えられた「義務」について考えました。将来を約束されていた「国王」の地位を捨てて、苦しみから解放される方法を見出すのが義務ではないかと思い至ったのです。

母への罪悪感で苦しんできたシッダールタ王子の想いとぴったり一致したのではないでしょうか?

「病」「老」「死」のように、どうにも避けがたい苦しみもあれば、「生」のように生きているだけで味わう 苦しみもある。
「一切皆苦」を避けて通れない理不尽を解決するために、妻のヤショーダラー、跡継ぎ息子ラーフラを城に残して出家しました。

ふたりの仙人のもとで行った修行は、心の持ち方をコントロールする瞑想が中心でした。
この方法では、苦しみから解放されなかったので、仙人から離れ、自らが発見する強い決意で、五人の仲間(部下)と共にブッダガヤーという山にこもります。

ここで断食や呼吸停止などの苦行を行い、より多くの苦しみを体験されました。骨と皮だけにやせ細りましたが、苦しみを感じない精神力と解放の方法を求めたのです。

お釈迦様が考えても考えても解決できなかった、お母様の問題。自分が生まれなければ母は死ななかったと思いながら味わう母のいない孤独感と罪悪感。仏教は、一人間の苦悩から開放から始まったプロセスの全記録と言えるでしょう。

東門を出て杖にすがる老人を見、生あれば老いがあることに気づき、西門を出て病人に会い、生あれば病あるを知り、南門を出て死人に会い、生あれば死あるを知り、北門を出て高徳の沙門(しゃもん)に会い、4つの苦しみの真理を発見され、出家修行の志をたてられました。

これが有名な四門出遊(しもんしゅつゆう)です。


四門出遊は真理に気づき、出家にはじまり、苦行、村の娘スジャータの支え、四諦と解決策の発見へと繋がります。

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