何者

仕事をしていて、友達と話していて、恋愛をしていて、何者でもない自分に気付いてしまって、とても辛いなと思った。
当然ながら、わたしは世界の多くの人間と同じように何者でもない。しかしながら、生きていくにあたって、何者でもないから快いシーンと、何者でもないことでしんどくなってしまうシーンとがある。

例えば雑踏の中にいるとき、私は明確に何者でもなく、ものすごく自然に、そして綺麗に雑踏に紛れ込むことができる。私のことを誰も気に留めないということは、ひとつの安心である。それは自由で、自分がマジックミラーの外から社会を見つめているような、心地よい分断がある。

一方で、親しい人や、仕事を一緒にしている仲間や、愛情を注いでいる人にとって、私はやっぱり何者かでありたい。こちらはマジックミラーを取っ払って直接触れている気持ちなのに、それに気付いてもらえない寂しさとか虚しさは、心にずしりと鉛を乗せられた気分になる。

欲深い私が、何者か以上の特別な者でありたいと思ってしまうとき、私には技術と熱量が足りないと感じる。結局のところ、私は是が非でも社会や他人と関係を結びたいとは思っていないらしい。枯渇していたら求めて努力をするはずだもの。マジックミラーとまでは言わないものの、他者との間に透明な一枚の壁くらいは残しておきたいのかもしれない。

なんとなく、生ぬるく、ふわっとした関係性こそが、心地いいのはもうわかっていて、それはもう手に入れている気がする。私自身がそれ以上を求めるとき、私はもうひとつ別のフェーズにいなきゃいけないのだなと思う。その日が来るのかわからないし、でも来てほしいと、自分のことなのに、どこか他人事のように願っている。