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お母さん。おかげで料理が楽しくなりました。ボクは元気です。

料理をするようになったきっかけの話を書いてみよう。

長野五輪の時期だ。
20数年も経つと記憶が色あせて抜け落ちている。

色あせた部分の修正は、今のボクがおおげさに塗り足した色も含まれるだろう。それは、今は亡き両親への愛情だと思って笑い飛ばしていただけたら幸いです。

もう答え合わせは、できないから
思いを書き綴ってみる。

母親がガンで入院した。

面会が可能になり病院にいった日、
スケートのオランダの選手が活躍していた。
#10000メートルのロメ選手

酸素マスク、色々な管
母親はベッドに繋がれていた。

「重症やん」

ボソッとつぶいて立ち尽くした。

2、3日で退院できるんでしょ。
そう軽く考えていたことは情けない。

母親がいないことは
我が家にとって一大事だ。

男三人奇妙な生活が始まる。 
サラっと人物紹介

オヤジ 当時50半ば、ザ九州男児で料理をしたところを見たことがない。お茶をいれているところもない。なぜか、掃除と洗濯はする。

アニキ 当時20半ば、社会人。こやつは家事全部しているとこを見たことがない。働きすぎで、家にいない。

ワタシ 当時大学生 ただのアホ

母親 当時50半ば、自分の家だけでなく親戚の子守や介護までこなす(入院中)

入院初日 コンビニ弁当
まあ、そうなるやよね。

入院二日目 コンビニ弁当
ん?これは、まさか 

入院三日目 コンビニ弁当
もう。いいよ。

そして、ついにオヤジが立ち上がった。
奇跡がおきた。いよっ!九州男児!!

入院四日目 どん兵衛
「今日はワシがつくったぞ!!」
どん兵衛を食卓に並べた
オヤジのドヤ顔はいまだに脳裏に浮かぶ。
#千代の富士に似ている

目がテンの意味を知った。

わかった。オレがつくる。
兄はやる気ない。オヤジはこの調子だ。
学生のオレがしないとみんな時間がない。

さっそく、作ってみた。
料理はしたことがない。 

何を作ったかおぼえていない。

とんでもなく辛い飲み物(汁物)

をつくったことは覚えている。
それは、砂糖ではなくて塩です。

ただ、いまだに
砂糖をたくさん入れる汁物を
ボクは知らない。
#あれは何だったんだ

また、母親がよく作ってた
粕汁をつくろうとした。
冷蔵庫に酒粕があったからだ。

ぶっこめばいいだけだろ!

その後の記憶は完全に抜け落ちている。
#口にした瞬間吐いた

玉子焼ぐらいはできるだろ。
と作ったたまごやきは、
オムライスにするような薄さだった。
#なんで包めるん

玉子焼器だからハシだけちょっと分厚い。

なんだかんだ食べてた
親父と兄者は無敵か馬鹿かお人好しか

三日も四日ももがけばさすがに気付いた。
誰でも作れるやつを作ればよくね?

ハンバーグ

やめとけ という声が今ごろ聞こえる
23光年彼方からいま届いた。
#誰でも作れると知ってるは違う

だがしかし!!
作れるイメージがあった。

めっちゃうまくできた。(自分比)
しかし、なにをおもったか
おたふくソースをたらふくかけた。
おたふくをたらふく♪おたふくをたらふく♪
#言いたいだけ

親父も兄者もおたふくの味しかせん。
まあ、でもうまいわ。

この瞬間、ボクは目覚めた。
#お世辞を真に受ける

他につくってみた

生姜焼き 麻婆豆腐 お好み焼き 焼きそば 炒飯 ラーメン 餃子 唐揚げ カレー シチュー オムライス 野菜炒め 八宝菜 なぞのキャベツスープ炒め 野菜あんかけ 大根にあんかけかけてみた。 アジフライ ケーキ

明らかに、なぞのキャベツスープ炒めからは、ひとり暮らしし始めてから作った料理だと思う。

母親がかえってくるまで三週間
なんだかんだ
色々できるようになりました。
#料理の本2冊かったよ

ご飯も炊けるようになりました。
#ボタンおすだけ
#当時無洗米はまだない

母親の退院の日

ボクは母親が何が好きかなんて知らない
いまでも知らない。

だから、自分の好きなものをつくった

カレー

これこそ。小学生から何度も作ってきた
誰でも作れる界の王の中の王。
#ルウにかぎる

退院した日にカレーを食べていいかの
予備知識などない。いまでもない。

「ただいま。あれ?カレーの匂いがする」

病院食おいしくなかったやろ
これ食べて元気だしてや。

「あらっ。あんた、そんなことできるようになったん?」

うん。えらいやろ。
ひさしぶりに4人で食べよ

たった三週間、されど三週間
ひさしぶりに4人で囲む食卓は楽しかった。

「おいしい。ほんまにおいしい」

いまなら、味のハナシじゃないってことはわかる。当時のボクはまっすぐウレシかった。

母親は退院次の日からフルに動き回り
ボクの料理のでる間はなくなった。

ひとり暮らしで料理をしたり
結婚して今の家で料理をすることは
たくさんあるけれど。

母親にボクがつくったのは、そのときだけ 
実家では包丁は握らせてくれなかった。

そんな母親が喜んでくれたことが
料理って楽しい と思えたきっかけです。

それから何度も
誰かを喜ばそうとして
なぞの料理をつくり、気を使わせながら
お、おいしいです…と言わせている。
けど、相手を思ってつくって
一緒にたべるのは楽しいです。

みんなでワイワイ手巻き寿司

また、実家では、何かのお祝いは
手巻き寿司でする風習があった。

4人でワイワイ手巻き寿司。
最近だと10人で手巻き寿司だったね。
ほんとにおいしくてたのしかった。

8年前、ドヤ顔でどん兵衛を作っていた親父は亡くなりました。昨年、母親も亡くなりました。

自分が子どもたちと手巻き寿司をしていると子どもはいいます。

おじいちゃんとおばあちゃんも一緒に手巻き寿司してるかな。絶対、楽しいよね。2人とも仲良かったから。

うん。してるよ。

お母さん。料理もできるようになりました。
ボクは元気です。









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