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お茶時間「大河ドラマ 麒麟が来る」


仇敵の松永久秀と筒井順慶を
何とかして、和解させなければ
幕府が崩壊してしまう(;´Д`)


という時に、それを阻止しようと頑張った明智光秀


何とかして和解させたい明智光秀は
筒井順慶に「和解してくれ」と持ち掛けますが


「いや!」と、断られてしまいます(笑)


このまま和解ができなければ
幕府崩壊じゃん!と、困った光秀は


ある計画を思いつきます
そして、筒井順慶にこう持ち掛けました


「堺にお茶、飲みに行きませんか?」


という事で、筒井順慶と堺に向かいました
そして、今井宗久の屋敷に到着し
控えの間に向かうと、そこには・・・


なんと、松永久秀がいるのですΣ(・ω・ノ)ノ


領土を争って
何度も戦をしてきた仇敵同士です
一瞬場がざわつきますが


2~3こと、話をして
結果、両者和睦を受け入れ
仲介者の光秀を立てて
同じ茶席で茶を飲んだ


これが、お茶の世界です

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お茶の席は「本質」と向き合う場です
「本質」を言い換えると「御魂」です


「御魂」は輪廻転生を繰り返しても、変わりません
変わるのは「御魂」の受け皿になる「肉体(心)」です


「御魂」は何度も輪廻転生を繰り返しています
その都度、色んな肉体の中に入ります


ある時は王様に
ある時は兵士に
ある時は宗教者として
ある時は家を守る母として


色んな肉体を選んでは輪廻転生を繰り返して
色んな人と出会って、いろんな経験をして
「御魂」を磨いていく


そのために、失敗を経験し
不遇の時期を経験し
華やかな成功も経験すれば
派手な転落も経験する


生きている間に経験するすべての事は
本質である「御魂」を磨くために必要な出来事なので
どんな失敗も、必要なものではあるが


その失敗そのものが
じぶんの「本質」ではないのです


本質と向き合う=「御魂」を磨く


とは、嫌いな人と、どれだけ歩み寄れたか

自分の都合を、どこまで相手の都合と折り合いをつけれたから

許せない人を、どこまで許したか

自分自身を、愛し、許せたか


など、これらの事を通して
本質(御魂)は磨かれていくのです


そして、その本質と向き合うのと
自分のお茶と向き合うのはイコールなのです


もし、茶を淹れる人間が
本質から逃げ続けていたら
その人のお茶はにごります


もし、茶を淹れる人が
悪あがきに近くても
自分の本質と向き合って生きていれば


飲む人の心に届くような
お茶が入ります

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「お茶の場」とは

立場とか

過去とか

地位とか

名声とか

都合とか

そういった、本質に付属しているメタファーを
ぜーーーーーんぶ取っ払って
「御魂」と「御魂」で向き合う場所です


だから、本質ではない
「たてまえ」「ごまかし」の状態でそこにいる人は
そわそわしたり、その場にそぐわなかったり


お茶入れたら
苦かったり、渋かったり、にごったり・・・
言葉はごまかせても
お茶はごまかせない


という事で、戦国武将たちは
こういった話をする際に


腹を割って、本質でぶつかり合う場である
「茶室」を選んでいたのではないかと思います


きっと、大茶人と言われる人たちは
本質と向き合い、大胆な生き方をしていたのではないかと思います


だから、「へうげもの」の利休は
まさに、欲にまみれた己を知り
受け入れ、許した茶人の姿そのものではないかと思いました♪


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