せめて安らかな最期を

高校からの親友が死んだらしい。

「らしい」というのは、ぼくは彼の死体をまだ目にしていなくて、本当に死んだか判断しかねているからだ。彼はもう7年近くうつ病を患っていて、LINEをすればしきりに「死にたい」「もう死ぬ」といった言葉を口にしていた。なかばオオカミ少年のような行為をしていたから、彼の死をまだ信じられないでいる。

逝去を知らせてくれたのは、彼のTwitterアカウントだ。彼の母親を名乗る者が、彼の死と告別式の有無、生前付き合いのあった者への感謝を伝えていた。嘘にしてはタチが悪すぎるし、本当だとしたらどう気持ちの整理をつければいいかわからない内容だった。ぼくは手につかない仕事をしながら、そのツイートと既読のつかないLINEをただ眺めることしかできなかった。

おそらく彼が死ぬ直前に送ったのであろうLINEは、なんとも身勝手な内容だった。

「勝手やと思うけど、もう寿命だ
今までありがとう!
さよなら元気でやれよ」

そのメッセージを受け取って、ぼくはどう返せばよかったのだろう。掛ける言葉を探して、でも見つからなくて、とにかく思ったことを素直に伝えることしかできなかった。

この1カ月ほど、彼とは連絡を取り合っていた。典型的な躁うつで、とにかく浮き沈みが激しかった。なかばうつ病に関する知識があるせいか、自分の発言一つで彼を殺してしまう可能性もあるせいか、いつも慎重に言葉を選んでいた。

その中には下書きのまま、送れなかった言葉もある。今になってみれば、本当に送らなくてよかったと思う。もしその言葉を送っていたら、ぼくは彼を殺した業を一生背負っていくことになっただろうから。

詳細は伏せるが、彼は才能のあるミュージシャンだった。彼の紡ぐ歌は不思議な力を持っていて、数多くの人を救ってきた。現にぼくも彼の歌を聴いて、救われた。

だからこそぼくは彼に生きて、音楽を続けてほしかった。つらい時期を乗り越えて、多くの人を救う歌を届けてほしかった。そして、いつか彼が有名になった時に取材させてほしかった。それが、ぼくがライターをやっている一つの目的でもあった。

彼は死ぬ直前に何を思ったのだろう。今まで支えてくれた人への感謝だろうか、その人たちを裏切る形になったことへの負い目だろうか、死を選ぶしかなかった人生への絶望だろうか、ようやく生から解放された喜びだろうか、はたまたその全部だろうか。

苦しいことばかりの人生だっただろうから、せめて最期くらい安らかに逝っていてほしい。あんなに優しくていいヤツが、不幸のまま死んでいったなんて、ぼくは信じたくない。

せめてぼくも死ぬ前に感謝の気持ちを伝えておけばよかったかな。もう間に合わないから、いまここで冥福を祈ろう。

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野阪 拓海

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コンテンツメーカー・ノオトの記者/編集者。教育、文化、生き方、多様性あたりが興味のある分野です。アニメ・Vtuber・コーヒー・サウナが好き。ライティングや編集の情報も発信していきます。https://twitter.com/nosaka_t