Fukushima50

(鑑賞: 2020.03.07)
東日本大震災。
私が高校1年のときに起きた今のところ人生で最大の災害。
そのときに福島原子力発電所で東日本を守るために戦った50人の実話を元にした映画。

私はこの映画を見るまでこんな命がけで日本を守った人たちがいたことを知らなかった。

本当の悪は誰だとか、内容に誤りがあるだとか言われてるけど、当時暴走していた原発につきっきりで作業をしてくれていた人たちがいたこと、その人たちのおかげで日本は最悪の事態から救われたことは確か。

海猿的な危機的要素と勇敢な姿、戦争映画のような人間同士の戦い、一人一人の守るもの、命がけで何かのために働こうとする人たちが描かれたなかなか考えされられる映画でした。
知らないのなら見るべきです。

せっかくなので、震災時の私はどんな状況だったか、お話します。

2011年3月11日
私は高校の教室で授業を受けていた。
小さな余震が長く続くなと思ったら大きな揺れが来て長いこと続いた気がする。
ちなみに、私の地元は茨城県南部。
みんな机の下に隠れながら、耐えていた。
窓ガラスは割れるし、怖いと泣き出す子もいた。
私はまだ「大きかったね」と、驚くだけ。
校庭に避難し、友達同士で円になって余震が来るたびに叫んでいた。友達が一緒だったから、怖さは軽減したことは不幸中の幸い。
私のケータイでTVを流してみんなで一緒にのぞいて、最初に映ったのが津波の映像。事の重大さを実感した。

安全を確認してから夕方には帰れたけど、帰る途中の停電で光らない信号機がとても印象的。
家の被害は少なかったけど、本棚の漫画は全て崩れ落ちていた。
父親は職場の地震対応で帰れず、母親は東京通いで電車が止まって帰れず、家には大学が春休みで休みだった兄がいて、1人じゃなかったのは本当に救い。
停電で明かりがつかないもんだから、まだ明るいうちに家中の懐中電灯やらキャンドルやらをかき集めて夜過ごす準備をした。
無線で流せるラジオをずっと流して、こたつの中に毛布を敷いて寒さをしのぎながら深夜まで過ごした。
Twitterもやってないし、ガラケーだし、情報収集手段がラジオという、時代を感じる。。

夜2時ごろになって父が帰宅。
電気もついて、目が覚めた。
私は、iPodで音楽を聴きながら寝てしまったけど、兄はキャンドルの火で火事にならないか心配で寝れなかったらしい。
TVをつけてみたら、どこも地震速報。

次の日、メールか何かで原子力発電所が爆発したことで、放射能が関東まで来てるので外出するなだとか、雨と一緒に放射能浴びるだとかいろんなデマが回ってきて、むやみに外に出れなくなっていた。とにかく情報収集しなきゃいけないのと、校長が学校再開情報を呟いていると耳にして、Twitterを始めた。

そのまま春休み入りして学校が始まるまで、何をしていたかすっかり忘れてしまったけど、テレビは自粛モードで、ニュースか、ACのCMしかやってなかったのはよく覚えている。
ぽぽぽぽーん

あれから、9年たって、よくわからないウィルスのせいで世界中が不景気で外に出られない。
予測できなかった。ある意味これも災害なんじゃないかと思う。
いまもこの危機的状況で国民のことを考えて動いている人はいるのだと思う。

わたしには何ができるだろう。