見出し画像

今試されていると気づけるか

頭で理解していても、実践できるかどうかは全然違うよなぁとよく思う。

自分がこうでありたいと思っていたことを、いざその時が来たらありたいようにいられるか。

今回の場合は、相手の悩みをきいたとき、すぐ解消させてあげようと思わずに、自分はこう思うを伝えてとどまること。その結果悩みが解消されたら嬉しいけれど、そこはあまり期待しない。

悩んでる人へのアドバイスは参考になるかもしれないけれど、多分処方箋みたいなもので、根本的に解消はされないんだろうなと思う。経験上、自分の中のどんな考え方がその悩みをつくっているのかに気づかないと、別の壁に何回も当たっているようで大きな同じ壁に当たっているのだろうなと感じる。解消できるかは別として。

だから悩んでいる人がいたら、こうしたほうがいいよって言うのではなく、自分の場合はこうやって乗り越えたよと、ただ事実だけを伝えたい。

そんなことを思っていると、試すタイミングがやってきた。
大事な人だからこそ、感情が先走ってしまって、こうするのがあなたのためだよと引っ張りたくなったけど、どうにかありたいように振舞うことができた。と思う。


気持ちが投げられた時に、理解できないことでも、遠いところに投げられても、キャッチして取りにいった。

そしてキャッチしてからは、理解しづらかったりしてその気持ちの扱いに困るけれど、じっくり味わってみて、ひと時一緒に過ごしてみる。気持ちの質感や重さを感じてみる。そしたらだんだん違和感がうすれてにじんでくる。なんとなく、自分が伝えられることが見えてくる。

ボールを返す時は、自分の考えや正しさを理解してもらうためにボールを投げ返してはいけない。相手に自分のボールをキャッチしてもらうために動いてもらうのではなく、キャッチしたら相手に受け取ってもらえるように歩いて行って自分の気持ちのボールを手渡しする。(決して投げない!)


こうやって考えると、自分の経験を振り返ったときに、ああ、あの時あの人はこうしたほうがいいとアドバイスもできただろうに、私の気持ちを受け止めて尊重してくれていたのかもしれないと思うことがある。ありがたい。

今回やってみて渡したメッセージを本人が受け取ってくれたかわからないけれど、受け取ってくれた感覚もすこしある。

それだけで結構達成感というか、自分の中で手ごたえがあって、よかったなあと思う。


自分のありたい姿をいくつも持っていても、今それが試されているタイミングにいると気付けるかどうか。そこも結構だいじなんだろうな。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?