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8月31日

8月31日。
今年は夏休み最後の日でもなんでもなく、すでに学校は始まっている。
夏休み中は家に閉じ込められ、早く友達と遊びたい子。
受験のためになんとか短い夏休みを有効利用しようとした子。
外で遊びまくって意気揚々とやってきた子。
学校が嫌で嫌でしょうがない子。
宿題が終わらなかった子。
どうしても、学校には行きたくない子。

いろんな子どもたちが、いろんな思いを持って登校し、また欠席したのだろう。

私はどちらかというと学校でうまくやれた人間ではあると自負しているけれど、一度だけ、学校に行くのが嫌になったことがある。
このハッシュタグを使って語られるような、重大な話ではない。よくあるいじめ未満みたいなものだから、もっとしんどい思いをしている人もたくさんいると思う。
ただ、しんどいと思う気持ちは、ひとそれぞれ。
しんどさのキャパシティだって、ひとりひとり、その時々で異なっていて、これは私のしんどさの体験談である。


当時クラスではひとりずつ"ハミゴ"にするのが流行っていた。その順番が回ってきて、何をするにも教室で孤立した。誰もが、私をいないものとして扱って、その空気感を楽しんでいた。
鬼ごっこをすれば存在を無視される。
2人1組の、もう1人になってくれる人が居ない。
休み時間には、あからさまに無視をされる。
順番が私に回っていたおよそひと月の間、私は徹底的に無視された。
そのひと月は、たったひと月だったけれども、当時小学生だった私には初めて自分自身を否定されたように感じられて、相当厳しいものだった。
幸せなことに家族は学校に行く必要はないと言ってくれたけれど、私は何かに負けたくなくて、毎日学校に行っていた。

たぶん、自分で自分を否定してしまったら立ち直れない、終わりだと思っていたからだと思う。

"ハミゴ"にされた子の行く末は決まっていた。
そのまま、教室内のグループからの追放である。
私の場合、休み時間の教室で、仲良くしていた友達から「もう友達じゃないから」と宣言されたことが、追放の証だった。


正直、無視されたひと月で精神的な疲労が溜まっていたし、クラスみんなが注目する前での出来事だったから、何を言い返すでもなく、ただ黙っていたように思う。
やっと終わったのか、そんな思いも、おそらくあった。
とはいえ、「友達じゃなくなった」ようなので、教室にわたしの居場所はない。
そのあとの休み時間は、教室にいるのが辛くて、図書館で本にかじりついていた。

幸いにも、その図書館には、同じようにクラスから追放されてきた子がいて、私はすぐに自分の居場所を見つけることができた。
そこにはもっとひどい、むごいいじめを受けて逃げてきている友達もいた。私が彼女の立場に立っていたら、不登校になるか、自殺も考えたかもしれない。
それでも、彼女は毎日登校していたし、その状況からしたら信じられないくらい前向きに過ごしていた。
私たち"ハミゴ"のグループは図書館で、その同質性に安堵しながら、自分の居場所を確認していたのだと、今では思う。
逆に、あの居場所がなかったら、私たち"ハミゴ"にされた子どもは、どうなっていたか分からない。
傷ついた私たちは、傷を確かめ合いながら、少しずつ痛みを鎮めていった。


いろんな理由で、明日を迎えるのがしんどくなってしまう人が、今の日本には溢れていると思う。
明日に希望が持てなくて、それなら死んでしまいたいと思う人も、大人子ども問わずこの夜を過ごしているのだと思う。


その絶望の理由はそれぞれだけど、
彼らが今いる環境から逃げた先で、
彼らを迎えに行った人たちの手で、
安堵できる居場所を見つける人が増えてほしいと願う。

そして、居場所から飛び立てた人間として、
いつでも逃げられる、そして再挑戦できる社会を作ることに尽力していきたいと思う。

間接的にでも、あの日の私たちを救えますように。



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