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第6回 井田美保さんの”こうしよう術”

「みんなで就学活動」は、支援の必要なお子さんが小学校に就学する時にご家族が遭遇する困難や悩みを知るとともに、自分たちにとってより良い選択を描きながら就学できるようにするための“こうしよう”術を、みんなで対話し、つくりあげていくプロジェクトです。
ここでは、実際に就学活動を終えられた先輩方に、リアルな経験談をお聞きし、それぞれの方の知見を”こうしよう術"としてご紹介していきます。


共に生きる道を見つけるための活動

こんにちは、井田美保と申します。夫と、小学校3年生の長女、1年生の次女の4人家族です。ダウン症のある次女も、長女と同じ地域の小学校で通常級に通っています。

就学相談でも支援級か支援学校を勧められましたが、インクルーシブな社会で一緒に生きていけることを願い、ずっと通常級への進学を希望していました。というのも私自身、ダウン症のある幼馴染がいるんです。0歳の頃から一緒に育ったその子とはずっと同じ学校に通っていたので、ダウン症があったり支援級に行く子どもたちがこんなに分断されてしまう現実社会のことを後から知ったくらいでした。

私たちが小学生の時はまだインクルーシブという概念もなく、また今思えば、登校班にはいろいろな特性をもった子どもたちが当たり前にいて、通学するだけでもかなり時間が掛かったり、大変なこともあったかもしれないのですが、子どもたち同士の世界ではなんとも思っていなかったんですね。登校班のみんなで知恵を出し合ったり、助け合ったり、相手のことを分かろうとしていたあの経験は、大人になってからとても価値ある時間だったと感じています。

違いがある人と一緒にいることは決して簡単ではないことや、社会のシステム上難しいことがあるのも理解していますが、娘にはお友達と一緒に切磋琢磨できる子になってほしいと思って、通常級を希望しました。

「なんとなく」の希望から、明確な「こうしたい」へ

最初の就学相談は年中のときでした。保育園の先生に、小学校に上がるまでにできていると良いであろうことを1年掛けて一緒に支援しますから、と早めに相談に行くことを勧められたんです。

就学相談に行き、「通常級を希望している」とお伝えしても、遠回しに支援級を勧められたり、通常級に行って傷つくのは娘だと言われたりもしました。ただ、その時はまだ年中でしたので時間的にも気持ち的にも、自分と異なる考えに耳を傾ける余裕がありました。それに「通常級に行きたい」と言葉にして伝えたことで、自分たちの気持ちもさらに整理できたので、早めに就学相談に行ったことはよかったと思っています。
その後「みんなで就学活動」のワークショップに参加した時も、「意思決定支援シート」を書いてみたら、私の考え方がインクルーシブ寄りであると分かりました。文字にした思いを視覚的に捉えたことで、それまでなんとなく考えていた通常級への入学が、揺るがない気持ちだと自分で認識した経験でした。

時間的にも気持ち的にも余裕をもてるよう
早めに就学活動を始める。


みんなで就学活動のワークショップに参加して、
自分たちの希望を明確にする。

戦いではなく、共に生きる仲間を作りたい

年長になって改めて受けた就学相談では、面談、発達検査、進学する小学校でみんなと一緒に受ける就学前検診、と決まっているものを順に受けた結果、支援学校と判定されました。心理士の先生が判定文を読み上げてくださるんですけど、短い時間ですごくよく娘のことを理解されていることに驚いて、その御礼はお伝えしつつも、「それでも通常級に行きたいです」と伝えました。あの時、心理士の先生が両手で小さくガッツポーズのようにした無言のジェスチャーは、がんばれと言ってくれたんだと受け止めています。

その後、小学校で最終的な面談がありました。校長先生、教育センターの方、心理士の先生に、「この地域でともに生きていきたい」「学校もどうか、一緒に生きる方法に協力してほしい」と、私たち夫婦の気持ちをお話しました。それでやっと校長先生たちの最終的な理解と承諾を得たのですが、その後、決定通知が来るまではだいぶ時間が掛かりました。本来なら1月末までに決まるはずが、1月も2月も何もなく、正式通知を受け取ったのは3月に入ってからです。

それまでも私は、就学相談でも小学校の先生たちにも、ずっと”戦わない”ようにしてきました。悲しくなることを言われてもなんとかやり過ごすように努めて、権利の主張などもしませんでした。いろんな戦い方があると思うし、自分たちの身を守るためにも法律を理解することは重要ですが、人と人が共に取り組まなければ解決できないこともありますよね。わたし自身もインクルーシブな社会の一人であり、先生たちとも、共に生きる道を探す仲間になれることを目標にしてきました。

通常級への決定通知が来るまでの間はさすがに、「こんなにも嫌がられてるところに入れて良いのだろうか」という気持ちが少し芽生えて、葛藤したのも事実です。でも「せめて1年生の一学期だけでもいい」とハードルを下げて待機しました。「ダメだったらそれでも仕方ない、とにかく一度は通常級に入りたい」と考えるように努めて、通知を待ちました。


違う意見も受け止めた上で、自分たちの希望を伝える。

心が折れそうな時は、まずはじめの1歩を進めてみる。

入学から1年弱で起きた変容

実際入学してみると、いるはずの支援員の先生がいない、ということになりました。うちの娘は暴れてしまったりお友達を叩いてしまうこともあるので、誰かを傷つけかねない状態ではインクルーシブは実現できません。初日の様子を見て、担任の先生や学校側と話し、支援員が決まるまでは私が毎日学校へ行くことにし、結局一学期は毎日学校に行きました。二学期からは支援員の先生も来てくれて、その後、入学から一年近くたった今は、驚くほどインクルーシブがうまくいってると感じています。

例えば、娘が挙手して発言すると、喃語もあるので話を理解するのは簡単じゃないんですが、みんな最後まで聞いてくれてるんですよ。最初の頃、娘が何かできる度に拍手が起きるようだったのが、そうした特別視はなくなり、娘の存在が当たり前に受け入れられています。

どうしても難しいことがある時は、私からも工夫を続けています。音楽会の合奏曲が娘には難しくて、できるだけやってみたけどやっぱりみんなと合わせての演奏は難しい、と判断したときは、自宅で娘用の太鼓を自作しました。バリアフリーのバンド「サルサガムテープ」という方々のことを思い出して、カラフルなガムテームを張って、娘が首から下げられるように紐をつけた太鼓です。思い切り叩いても音は鳴らないんですが、他のみんなと一緒に合奏が楽しめるようになり、クラスのみんなもすごく気に入ってくれました。

もちろんクラスのインクルーシブが進んだ理由として、先生たちの理解が大きいと思います。自分なりにできることをみんなと一緒にがんばっている娘のことを見守ってくれていますし、以前「お母さんががんばっていらっしゃるから」と、私の努力も伝わっている言葉を掛けてくれたこともあります。

理解と熱意。どうしたら可能かを一緒に考える

入学当初を思い返してみると、担任の先生からは娘のことで「支援員もいないのでクラス進行が難しい」と言われたことがありました。そこで、自分が行くことを提案し、「支援員さんが決まるまで私が学校に行くし、先生だけの問題にさせません。先生と仲良くなって助け合いたい、先生と敵になりたくないんです」という気持ちも正直にお伝えしながら、どうしたらいいのかを話し合いました。

それから本当に毎日学校に行った私の心意気などを認めてくれて、先生も娘を受け入れてくれたのかもしれません。「授業の邪魔はさせませんから」と言った私の言葉を、信じてみようと思ってくれたんじゃないかと感じています。

だからこそ、先生ともコミュニケーションもできるだけ取るようにしています。どんなに短い一言でも毎日先生に声を掛けたり、二学期以降も、先生の承諾の上で、毎日様子を聞くための電話をしています。その日の出来事とか、娘が〇〇ができた、などお忙しい中でメモしておいて教えてくれるのでありがたいです。

また、3年生の長女の担任の先生も、次女を受け入れてくれているんです。もしも授業中にじっとできず教室を出てウロウロしちゃうことがあれば、長女のいる教室に「いつでも来てください」と言ってくれます。

長女は妹にダウン症があるとわかった時、ダウン症がどんなものなのかを理解するための絵本『あいちゃんのひみつ』をサンタクロースにお願いしたことがありました。その絵本を担任の先生に頼んで、クラスのみんなで読んだそうで、長女のクラスの子たちもダウン症があるとはどういうことなのかをよく理解しています。そのため本当に下の娘が教室に来てもちゃんと受け入れて、声を掛けてくれたり、面倒まで見てくれようとしたりするんですよ。今通っている学校は、どちらかというと大きい学校なんですが、先生も子どもたちも、娘のことを理解してくれている今の環境がとても嬉しいです。


先生との信頼関係を構築するために
思いはしっかり言葉で伝える。
こまめなコミュニケーションを心掛ける。

様々な方の就学活動を知ることで、ひとりでは”どうしよう?”となってしまいがちな就学活動も、みんなで知恵を出し合い、“こうしよう!“と思いを新たに、新しい一歩を力強く踏み出せるのではないでしょうか?次回も、ぜひご覧ください。




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