今日のお気持ち

行きなさいシンジ君!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!

新劇場版のミサトさん

似たような言葉をいくつか受け取って、なんか似たシーン見たなと思ったらこれだった。以来、このシーン、この言葉が頭にチラつく。

これまで「お前は弱いんだから何もするな」的なことを散々言われて、みんなに必要とされたくて、自分が犠牲になればみんなの役に立てると知ったとき。アニメやゲームはいつだって話が大袈裟だからその犠牲は大抵「死」なわけで、登場人物は死への恐怖から始まって自身の願いも見つけていく。
周囲は「後悔のないように考えて、自分で決めろ」と言う。

自分軸と他人軸のお話だなぁと思いながら見てた。
今まで「怒られないように」「嫌われないように」と他人に合わせて生きてきて、決断の瞬間がまだ遠いタイミングだと犠牲を選ぼうとするんだけど、そのときが近づけば近づく程決意は揺らぐ。死への恐怖、生存本能ってすごい。
「お前は弱いんだから何もするな」と言ってたほうは、それが抑圧で、考え決断する力を奪っている自覚もなく「最後は自分で考えて決めろ」とか言う。はたから見てると何それって感じてしまう。

私が決断を怖がるようになったのは何のせい?
それは一歩踏み出せば怖くなくなるんだろうか?

私が自罰的なのは他人軸なせい。
私の願いって何なんだろう。

シンジ君も、FF14のリーンも、アビスのなれ果て村の人たちも、自分自身の願いが見つかって羨ましい。
でも、願いはきっともう持ってて、他のごちゃごちゃした他人の言葉に埋もれて見えなくなってるだけのような気もするんだよね。


FF14で「戦いに疲れて(メンタルがやられて)戦えなくなった兵士」のサブクエストがあってさ。
大きな戦争があって目の前で自分の部隊が壊滅する被害が出て、それまで何ともなかった簡単な魔物討伐すら出来なくなって、様子がおかしいからと友人が無理やり休ませて、英雄たる主人公と一緒に温泉に浸かった。
その兵士が「あなたは何でそんなに戦い続けられるんですか?」って訊いたら、主人公は「託された想いがあるから」と言い、直後に兵士の友人が魔物に襲われてるところを兵士が助けて「僕は友人を守れるようになりたくて兵士になったのを思い出したんです…!」と、また戦えるようになってた。

これもまた羨ましいと感じちゃった。
私もまた、前と同じように楽しく仕事ができるようになるんだろうか。こんなに怖いのに、昔はなんで怖くなかったんだろう。昔のほうが大変な仕事もしてたはずなのに。
休んだら良くなる?水風呂入るのと同じで、飛び込んでみたら意外と平気?この問いも何度繰り返したか分からないし、何度noteに書いたか分からない。

窮地に立てば何か分かるかな、って思っちゃうんだよな。だから破滅するほうに歩いちゃう。
でもじっとしてても、それはそれで何もならないとも思うんだ。体は休まるけど。

悩みは!!!尽きない!!!!!

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