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謎のヒーラーとの出会い。彼が居ないから不幸せではない。自分から幸せは創造できる。

彼の病気が分かったとき、私は暗闇に落ちたような感覚でした。

その時私は真夏の屋外で塗装をしていて

もうずっと前からこのしんどい仕事を
辞めたいと思ってたのに

責任感を感じて辞められずにいたし
仲間達はとてもいい人達だったので
明確な辞める理由が無かった。
もっとEASY MOODで生きたいとずーっと思いながら、ハードな感覚は麻痺して、お金の不安で行動に移せないでいました。

彼が大阪で思い病気で入院したので、初めてお見舞いに行く前日、私は一人で過ごすのも嫌だったので、
熱海の飲食店をうろうろしていたら
友達がお店を開けるところに遭遇、
あ、この人なら話を聞いてくれそうと思って、お店に入って

大体熱海で友達と会うと、"最近どお?"
なので、"いや〜実は、"と話した。

彼が入院した知らせを受けてから、

死んじゃうかもしれない

が頭をよぎっては
だめだめ、そんなこと考えちゃ

を仕事をしながらずっと繰り返してました。


その友達に"心配だね..."
と深刻な顔をして言ってくれたのに
"まあね〜"と無理に平静を保とうとしてた時

私の後から入ってきたお客さんで
ヒーラー?の様な謎のお姉さんが、
事情を聞いてくれて、

"彼が問題なんじゃない、あなた背負いすぎだよ、
休みなさい、実家に戻れるなら帰りなさい
泣きなさい
‼︎"
と目をガッと合わせてきて言った言葉に

私はワ〜‼︎‼︎‼︎

って声を出して泣いた。


今まで一番に拠り所として頼ってきた人が病気になってしまった。

居なくなってしまうかもしれない

誰にも頼れない


と思っていた。

その辛ーい重ーい感情が一気に出た。

彼が病気で悲しいというより
自分が勝手に背負いこんで誰にも頼らずに我慢して彼の病気が重なることで心はパンク状態だったのだ。

だから、"休みなさい"
とその人に言われるたびに
私の魂はその言葉に安心して
涙がたくさん溢れた。

あー
私休みたかったんだ、、

そう言ってもらいたかったんだ、

はい、\\\休みまーす‼︎////

と、スイッチが切り替わり

彼の大阪までの病院のお見舞いも重なると大変なので
今の仕事辞めます。
と言った。

社員の人達も彼のことよく知ってる人なので
快く受け入れてくれました。

そして彼が亡くなった後も
心のダメージは大きかったのと
塗装ではない
やりたいことをやる時間として
現場仕事には復帰せず
無理なくできる、ヨガとタロット、
在宅でできる仕事と
ありがたいことに親が貯めててくれていた貯金を足して生活している。

その平穏さたるや、めちゃくちゃ心地よい。
クーラーのある部屋、好きな時間に起きて、仕事のことを考えなくてよい
今日はどこでご飯食べようとかだけ考える日々

あー幸せだ、私、今のこの時間がありがたい。

と心から感じた。

もちろん彼が居ない事実は寂しいし
それを受け入れるのはなかなかしんどかった。

だけど私の体は健康で、安全で安心なところに居る。

彼が居ないから不幸せでは決してない。

自分から幸せは創造できるんだ。と思った。

私は自分でこの選択できたことを褒めたい。
家族から貰ったお金も今までだったら使ってはいけない設定
だったのだけど

今しかないでしょと
自分で感じて親にお願いした。

お金の設定を変えてなかったら、頼むことも出来なかったし、
・今まで後回しにしてたやりたいことをやる時間
・向き合わなきゃいけない我慢や大丈夫なフリする自分の問題と向き合う時間
・体のメンテナンス期

として今を過ごしています。

それは彼の病気の前にちゃんとノートで自己対話しして自分の声を聞いていたから決断できたんだと思う。

だから、チャンスが来たらそれをキャッチできた。

外側のことはコントロールできない。
だから
いつでも、どんな時でも自分のベストを選ぶことが
大事だな、と思った。

また、お金の設定をどうやって変えたか、
我慢体質の自分が何に気づいたのかは
また書きます。

今日も読んでいただき
ありがとうございました。

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