ハハハの話

今日は私の長年のコンプレックスがついに改善に大きく前進した日なので、それについて。

歯って、見た目にすごい大事だよねって話です。ついでに容姿について最近思うことも少し書くかも。

私は先天性欠如歯のためにかれこれ8年くらいは矯正歯科に通っています。生まれつき永久歯がないっていうやつで、10人に一人くらいはそういうことがあるらしいんだけども、私の場合は永久歯が7本足りない。6本以上足りないと国の保険が効くんだけど、そういうレベルなわけです。中学生の頃に「奇形児」と言われたのはびっくりした。その地元でお世話になっていた先生が京大病院に「たまたま」転勤になって私の治療を引き続きしてくれているんだけど、自分を症例として研究し続けるために京都に来たんじゃないかって密かに疑っています。その先生とは仲が良くて、地元トークができるし帰省したらお土産を交換したりなんかして、引き続きお世話になれることは嬉しいんだけどね。

さて、歯がない場合に対応する方法は今のところ3つあって、入れ歯、ブリッジ、インプラントです。最近他の細胞を使って歯を作る技術についての記事を見たけど、まだ実用はされないでしょう。私の場合は保険が適用されるので、高額ですがインプラントという選択肢を取りました。何せ全体の4分の1がないので前二つの選択肢が難しいのです。永久歯がないところは、押し出されないので乳歯が抜けません。今まだ乳歯を使っているところが数か所ありますが、本来の寿命の3倍くらい酷使しているのでいつそれも抜けてしまうか分かりません。入れ歯を安定的に引っかけるところがないし、ブリッジも永久歯を削ることになるので、そんなリスキーなことはできません。

ということで20歳になるまで待ってから、骨にネジを入れて歯型をかぶせるインプラントという方法を選びました。具体的には今ある歯をワイヤーで動かして歯一本分の隙間を作ってから、そこにネジ穴をあけるという流れ。ただし、その穴が隣の乳歯にも将来影響する可能性があるので今回の一本目のインプラントで治療が完了するということもありません。これから無限インプラント連鎖になる可能性もあるし、そもそも一本の寿命が20年ほどだそうなのでまだまだ付き合っていく必要がありそうです。

ともあれ、ネジ穴開け手術の後3段階を経て本日ようやく仮の歯を手に入れ、手で口を隠さずに笑えるようになりました。多分写真を撮る時に歯を見せて笑うこともできるようになりました。

私は元々すきっ歯だったけれど、それがコンプレックスだと意識したのは小学校後半くらいの頃。当時ちょうど「女々しくて」が流行ったけれど、同じすきっ歯だった鬼龍院さんを見るのが勝手に辛くてMVを見ることができませんでした。(これは鬼龍院さんディスではなくて、勝手にコンプレックスをこじらせた話。)小学校の卒アルは、笑って~と言われたが歯を見せたくないという気持ちで、ひどく歪んだ表情をしています。当時はド一重だったのもあって、見返したくない写真の一つです。
幸いこれが原因でいじめられるようなことはなかったものの、当時から私を好きだと言ってくれた人などには、「よくこんな私を人間として見れるな~」と思っていました。当時の容姿に対する自己評価は最悪でした。

コロナの間マスクをするのが当たり前だったのは、実は私にとっては悪くなかったのかもしれません。醜いものをみせてしまって申し訳ないという感情が常に自分にあったから。かなり気を遣いながら過ごしていたから、正直マスクはありがたい一面もありました。留学中にそれがチャームポイントで可愛いと(なんとも意味の分からないことを!)言ってもらえた時には、天地がひっくり返るような感覚でした。そんな自分を受け入れてもらえたドイツを好きになりました。その分、帰国後に心を許していたはずの相手に「まだ歯治してなかったんだね」と悪気なく言われた時には静かに深く傷つきましたが。口を開けて歯がなかったら清潔感がないって印象になってしまうのは分かるけど、こればかりは時間がかかるし自分でもどうすることもできません。

一括りに言いたくないけれど、やっぱり日本のほうが容姿に厳しいし、自分自身も気にしてしまう感じがします。テレビ番組を見ていても、歯がない人を馬鹿にするような内容がたまにあります。他にも二重整形とか脱毛とかの広告。マッチングアプリでパートナーと出会い、そのために容姿を整えろという圧、やっぱりすごいなあ…。この前ドイツ人の友達に、顔が小さいというのがいいことなのかどうか尋ねたら、「?」の顔をしながら「顔の大きさはドイツでは皆同じ」と言われました。見たらわかる、顔のサイズがみんな同じな訳ないんだけど、そんな容姿のこと、普通考えないんだよなぁ。

最近二重整形手術がびっくりするくらい安くできて衝撃を受けました。私も一重はコンプレックスだったし、なんなら今も左右非対称だから少し前の私だったら手を出していたかもしれません。肌質も変わってメイクができるようになったからもうあまり気にならないし整形はしないけど、見た目を良くして自分に自信を持ちたいという気持ちは整形も矯正も変わらないと思います。そういう意味では、整形したいという気持ちに共感できるのです。
生まれつきこんな顔でも、わざとこうなったわけでなくても、逐一弁解することはできないし、わりと第一印象で判断されてしまうから。何か外れ値があると努力不足だと見なされてしまうこともあるのです。

ほんとうは、人を美/非美に分けること自体なくなればいいのですが。不可能ではないはず、だって人類はそのような価値転換をしてきた歴史があるのですから。これは本当に自戒を込めて、とりあえず関わって話してから、彼らに対する評価を下すような人間関係の構築をしたいと思います。

こんなコンプレックスの話も、自分は克服のフェーズに入ってからじゃないと言い訳のようで堂々と書けませんでした。改善中、まだその時機が来ていない方々、強く生きましょう。
できる範囲で清潔感を演出することと、内面を磨くことは常にできる気がする、がんばるぞ!

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