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エマオのキリスト。超自然的なものに出会った際の軽い戦慄

超自然的なものに出会った際におぼえる軽い戦慄。

ある、絵画の評論家が書いていた一文が、先程(2/4午後)川越駅前マックでふと浮かんだ。何故だろ。

この一文がとても印象的で、逆に僕はこの一文を頭で繰り返しながら、高校、大学と、創作を続けていたと思う。
思えば、親の庇護の下に生きていたあの頃が一番純粋に物を作っていたし、いいもの作っていた氣がするー。笑 
食べるためとか、金になるかという思いは微塵もなく、ただ、衝動のままに、浮かんで来るイメージを絵に描いて、立体にして、コンテ描いたりフィルムに焼き付けようとしていた。
あの頃の純粋さに戻れるなら、何者かになれるかもしれない。。。笑笑

超自然的なものに出会った際におぼえる軽い戦慄。

確か、何かの宗教絵画に関して書かれた一文だったと思うけど、その絵画がなんだったか、定かではない。
レンブラントの一枚だったかな、
あ、思い出した。
エマオのキリスト、だ。

この絵が好きで。記事トップ画像
もしかしたら、あの解説で好きになったのかもしれないけど。

卒業制作(映画)で、この構図をやろうとしたけど、カメラマンに却下された。笑
照明つくるのが、大変だったんだよね。。。

超自然的なものに出会った際におぼえる軽い戦慄。

この一文が常に創作のモチーフにあった。自分の中にあったテーマを言語化してくれたからかな。

しかし、そんな一文で終わるモチーフしかなかったから、自分は映画制作の仕事には至らなかったのかもしれない。映画にはも少し膨らんだストーリーと情熱が必要だ。

それはそうと、優れた作品に出会うと、こういう風になりませんか。
作品から受けるパワーで、軽い戦慄を覚える。

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