奇跡の子 妊活、ギリギリ間に合いました
奇跡をすぐ忘れちゃう 『ありがたい』の原義を知りなさいわたし!
愛されて半世紀・・・わたくし、50歳を超えた頃に、初めての子女をたまわりました。女の子を授かりましたのです。
まわりで、「時間切れでもう子女は望めない」と泣く泣く諦めているご夫婦を何組か見ていたので、わたしたちは本当に幸運だったと感謝しました。
しかし、そういう「ありがたい」、Difficult to be(で、英語あってますか?)を、ミラクルを、奇跡をいただいたと分かっていても、毎日毎日、その奇跡の子と間近に過ごしていると、その奇跡をつい忘れがちになります。
そんな中、あらためて奇跡の子を授かっているんだと実感したエピソードを以下書きモス。
妻にプレッシャーを与えていたかもな発言・・・
この夏、妻が「もう一人!」ということで、第二子受胎にチャレンジしてくれました。
妻は現在43歳で、3年前の第一子の妊娠の時も相当に辛そうだったのですが、それにもめげず、第二子にチャレンジしてくれたのです。
奇跡の子・第一子は、父50才・母41才の時に生まれた子ですので、父母と地上で共に過ごせる時間が一般的な親子より短いです。娘が二十歳の時にわたしは70才ですよ! 一般的には祖父と孫の年齢差ですよね。
「父母があの世に行くのが早いから、妹弟でもいれば心強かろうねえ・・・」なんて、わたしが話していたから、妻、頑張っちゃったのかなあ・・・。プレッシャーかけたかなあ。
ま、とにかく、先に妊活した際に受精成功になっていた受精卵がもう1卵だけ冷凍っ残っていたこともありまして、この夏、奇跡の第一子が2歳になった頃に、妻は第二子計画を、奇跡の子弟妹補完計画を実行に移したわけです。
今回第二子は結ばず・・・
8月3日に受精卵を子宮内に着床させ、さあ妊娠に到るかどうか・・・8月12日の検査で結果が出たのですが・・・結果は、陰性でした。
第二子は、受胎ならず・・・だったのです。
検査結果を伝えられた時に、妻がお医者さんから色々と説明を聞いたそうなんです。
第一子の時に受胎したので、今回もまあ受胎するだろう・・・みたいな意識もどこかにあって。「子供できて当たり前」・・・とまでは行きませんが、ちょっと、どこかで軽く考えていた感があったんでしょうね、わたし達・・・。
しかし、今回、受精卵は子宮に定着しなかった。
あの子は奇跡の子
お医者さんのお話によると、受精卵が着床しないのは、その卵の質とか、染色体異常がほとんどだそうで・・・。染色体異常が見られないとすると、じゃ、卵の質か? って事になるわけですけど。同じ時に作っていただいた受精卵で、第一子の時は着床して、今、元氣すぎる2歳児に成長しているわけです。それと同じような受精卵のはずなんですけどね。今回は着床しなかった。命を結ばなかった・・・。
そんな話を聞きながら、妻は思ったそうです。
『あの子は本当に生命力の強い、奇跡の子なんだ・・・』
と。
そう思うと、第一子が存在してくれていることが・・・その命があって、目の前で成長していってくれていることが本当に尊いなと・・・ありがたくてもう、思わず第一子を抱きしめちゃいました。
だから、この子が、ちょっとくらいオシメからウンコ漏れちゃっても、クズって泣いて物を投げても、調子に乗っておもちゃで顔を叩いてきても、なんてことはない。
だって、奇跡の子ですものね。
今後の予定 「奇跡の子」Tシャツ
そんなことで、今度、胸に「奇跡の子」と書かれたTシャツを作ることにしました。
娘には毎日そのTシャツを着せてあげようと思います。
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