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手放さないと得られない

引越しを間近にひかえて荷造り中なわけですが、ミニマルな生活をしていてよかったな、とつくづく思いました。

「ミニマルライフ」とブログタイトルに銘打ってるわりには、ミニマリズム関連の記事なんか最近ぜんぜん書いてないやんか!と怒られても困ります。「日本で俗に言うところのミニマリズム」に特有の、物捨て指南のブログじゃないんで。(ひらきなおり)

でも、やっぱり物が少ないっていうのは何かとラクです。
とくに独り暮らしだと、引越しの際には荷出しも荷受けも自分ひとりでしないといけない可能性が高いですからなおさらです。

イギリスの自宅は、とりあえず貸すことにしました。
家主になるのって面倒くさそうなので、当初はいっそ売ろうかと思っていたんですが、いろいろ考えた結果、私が帰ってくる場所は、イギリスでいま住んでいるこの街だと思うので、さしあたっては持っておくことにしました。

ミニマリストなら潔く売ってしまえ、というご意見もあろうかと思いますが、少なくとも今ではない、と感じたので。まぁ先のことはわかりませんが。

少ない持ち物でメンテナンスも完璧にしていたおかげで、借り手がそっこーで見つかりました。不動産会社のセールスの人もびっくりするくらい。

とはいえ、大好きな住まいなので、赤の他人に貸すだけでも正直抵抗があります。つーか、私、どこまで自宅に思い入れが強いんでしょうか。

対象が物でも人でも、「距離をおかねばならない、ひょっとしたら完全に手放さないといけないかもしれない」という状況になって初めて、自分がそれにどれほど執着していたかに気付かされるのかもしれません。

得るために手放す

同僚や友人・知人に挨拶をしたり、役所の手続きやいろんな登録を解約したりするにつけても、自分がイギリスで長年かけて培ってきた根を、ひとつひとつ引き抜いていく感じです。

一方、デンマークでは、とりあえず、新しい勤務先の大学が所有する、客員教授や院生向けの短期ゲストルームに滞在することにしました。なので、当分は「根無し草」状態が続きます。

現地での生活はまだ始まっていないので、「どこにも完全には所属していない」虚無感というか、不思議な感覚です。

過渡期なんで、これもまぁ仕方ないですね。新しいものを手に入れようと思ったら、古いものは手放さないといけないわけです。少なくとも、手綱をゆるめることは必要です。

「いーや、いっさいがっさい全部もっていたいし蓄積していきたいのよ」と言う気持ちもわかります。また、人間関係とか友人とか、べつに手放さなくてもいいものもあるだろうに、と思われるかもしれません。

ですが、時間や距離を超えて続く関係というのは、むしろまれです。さらに言うと、人間関係は、たんに数を増やしていくものではなく、選りすぐって育んでいくものです。

何か(または誰か)を所有していると、私たちは、その既得権をもってして、該当するモノやコトや関係をコントロールできると思いがちですが、実際には、それらにコントロールされるほうが多いです。

支配されている自覚はなくとも、それらに拘泥したり、それが足かせとなって決断が鈍ったりするとしたら、それは支配されているのと同じです。

なので、何事においても執着しすぎない、というのが、自由な生き方であるような気がします。以下は、イギリスの現役司祭 The Venerable John Kiddle の言葉からの引用です。

"There are times in life where we need to let go in order to receive.
Sometimes it’s just a matter of practicality: our hands are too full of stuff in order to take hold of the gift someone is wanting to give us.”

何かを必死で握りしめていると、新たな贈り物を受け取れないので、いつも両手を広げて受け取れるようにしておいた方がいい、ってことでしょうね。

手放すごとに、その先には、新たな機会や出会いが待っていると期待しています。