不安や失望を克服するには
2016年のアメリカ大統領選挙の結果を知ったのは、イギリス時間で11月9日の早朝でした。
にわかに信じがたく、がっくり床に膝をついてしばし動けませんでした。
こんな落ち込み感は、Brexit(イギリスのEU脱退)の国民投票の結果を知った時以来か、それよりもひどいかも知れません。
日本でも話題になっているんでしょうが、欧州や南米各国と比べると、深刻さが違うというか、かなり温度差があるような気がします。
アメリカ人の同僚は、「悪夢をみているようだ。この先どうなるのか、どうしたらいいのか分からない」と、うろたえていました。
選挙結果にかぎらず、失望や、それに伴う不安にさいなまれるとき、それを克服するにはどうしたらいいのか、考えてみたいと思います。
不安がるのは事態を悪くするだけ
まずは、不安がるだけでは何も改善しないことを認識しないといけません。何も改善しないどころか、不安は心身をむしばみます。
「何か良くないことが起こるかもしれない」という思いにとらわれること自体が、すでによくないことです。
何か対策があるなら、実行しましょう。健康上の問題なら、まず病院へ行って医師の指示に従うべきですし、仕事上の問題なら就活するとか、何かできることがあるはずです。
小さいことですが、私はBrexitの後、国民投票のやり直しを国会に請う嘆願書に署名してきました。無駄とはわかっていても、せずにはいられませんでした。
自分ではどうにもできないことであるならば、それはもう、人事をつくして天命を待つしかないです。
悶々と最悪のシナリオを頭の中で繰り返すのは、自分で自分を拷問にかけているようなものです。すぐやめましょう。
人生で何が大事かを考える
たとえ自分の力の範囲をはるかに超えているような問題や災難であったとしても、それは自分の存在を否定したり打ち砕いたりするものではない、と立ち向かう姿勢も大切です。
国の先行きが不安でも、日々の生活や仕事にせいをだすことはできます。
健康を失っても、家族を愛することはできます。
不安だからといって集中力を欠いたり、落胆しているからと言って他人につらく当たるようなことは避けるべきです。
困難な時にこそ、その人の人格が試されます。
つらい時に前向きに何かにとりくむことによって、希望も生まれるかもしれません。
「状況が悪すぎて、希望なんか持てない」というときにこそ、希望は捨てるべきではありません。
聖書に、”…But hope that is seen is no hope at all. Who hopes for what they already have?” (「目に見える望みは望みではない。すでに見ている事を、なお望む人があろうか」) という言葉があります。
本来、希望とは、望みを持てる要素など見当たらないときに、それでもなおかつ抱き続けるものです。
なんとかなる、なんとかしてみせる、と思い続けることから、活路が見いだせると思います。言うは易く行うは難しですが、そうした努力をする価値はあるはずです。