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11月1日は「諸聖人の日」

11月1日は「諸聖人の日」です。「万聖節」ともいいます。

「諸聖人の日」は、キリスト教の聖人や殉教者のはたらきを記念する日です。「セント・パトリックの日」みたいに特定の聖人を記念するのではなく、キリストの働きのために尽くした人すべてに敬意を表する日、とされています。

といっても、イギリスでこれを祝っている人に私はお目にかかったことがありません。私が知らないだけかもしれませんが。

カトリック教会、あるいはイングランド国教会に属する教会の中でも伝統を重んじる古風なタイプの教会では、「諸聖人の日」にちなんだ礼拝や催しが地味におこなわれてはいるようです。いずれにせよ、休日ではありません。

むしろ、「諸聖人の日」の前日にあたるハロウィン関連のイベントのほうが、一般の人々のあいだで盛大に行われています。

イギリスもご多分に漏れず、ハロウィンの夜には、ふつうなら間違いなくお巡りさんから職務質問をうけるであろうと思われるいでたちの人々がパーティに結集し、夜通しお酒飲んで騒ぎまくっています。

小さい子供ならいざしらず、大のおとなが、ゾンビや魔女の恰好して何が楽しいんでしょうか。

楽しいんですか?ほんとに楽しいの?なんでそれが楽しいの?

私にはまったく不可解な世界です。

邪悪な世の中だからこそ、聖なるものに目を向けよう

「諸聖人の日」が廃れる一方で、ハロウィンがなぜこんなに各国で流行ったのかを考えると、まぁ、一つには、商業主義と結びついたからでしょうね。

ハロウィンに無理からこじつけたお菓子や食べ物の数々、それにちなんだパーティーやイベント、アルコール、仮装費用など、経済効果はかなりのものだと言われています。

それ以外にも、心理的な要素もあるような気がします。
というのも、人間は本質的に、「聖なるもの」にひかれる部分と、「邪悪なもの」にひかれる部分の両方を内面にあわせ持っています。

そして、聖なるものを崇拝して心の浄化に努めるよりも、興味本位で邪悪なものに身をゆだねるほうが「ラク」であることが多い。水は低きに流れ、人は易きに流れますから。

前近代の民間行事としてのハロウィンも、現代のハロウィン商売も、根底にあるものは同じで、私達がもつ「邪悪なものへの興味」をそそり、心の闇の部分を触発します。

だとすると、たとえ年に1回であっても、「ネガティブかつ邪悪なもの」への同一化に快楽を求めるというのは、精神衛生上、あまり良くないんじゃないでしょうか。

世の中、経済効果がありさえすれば何でもいいってわけじゃないんですよ。実際、欧米では、ハロウィンがらみの犯罪も増えてますし。

心理的そして社会的な影響を度外視して、したり顔で商業主義を礼賛する、浅薄な「自称」コンサルタントや評論家が多いのは困りものです。

今の世の中、邪悪なものには事欠かないんですから、ハロウィンなんかを祝うより、もうちょっと崇高なものに目を向けて、聖人たちの偉大な働きに思いをはせたほうが、よほど精神面でプラスになると思うんですが。