生きることに対する「お金」と「やること」への向き合い方

久しぶりに、衝動的に、大げさに、自分の想いを文章にしようと思い、noteを書いてみます。
最近、思ったことがあります。

それは、『人生を歩んでいくための「お金」と「やること」のバランス』についてです。

さて、頭の中に「???」が思い浮かぶと思います。これだけ言われても、意味がわからないでしょう。
具体的にわかりやすく書かず、遠回しにそう思ったキッカケとその正体について書いてみます。たまにはよくわからない文章を書くのも、面白いものです。

まずは、『人生を歩んでいくための「お金」と「やること」のバランス』について思いを馳せたキッカケを書いていきます。
そう思ったキッカケは、大阪でホテル暮らしをはじめた半年ほど前に遡ります。

私は、大阪でも繁華街の地域でホテル暮らしをしていました。コロナで夜遅くまで店が開いていなくても、ホテルの窓の外から人が騒ぐ音が聞こえるような場所です。
そこで感じたのは、「資本主義の不自然さ」でした。

本来、人が眠っている時間帯に騒ぐ人たち。
本来、ありえない場所に立つ高い建物。

無意識ながら、その不自然さに違和感を抱き出したのが、この時期でした。
最初は新鮮だった人の多さと建物は、どんどん奇妙なモノに変わっていきました。便利ではあるけど、その便利さは他人によって作られたモノでした。

とはいえ、東京や福岡、大阪、名古屋など、日本の都心部にはじめて行ったわけでもないし、旅行や一時的に暮らすことなどあったわけです。しかし、その期間は違和感を抱くキッカケになりました。

その無意識な違和感を抱いたことで、意識せずに大阪でのホテル暮らしは終わりを告げ、実家に戻ることになります。

そして、その違和感が収束に向かっていく中、明確な違和感を認識したのは、1ヶ月ほど前に名古屋のとある高層ホテルに泊まったときでした。
そのホテルから、名古屋の都心部すべてを見渡せました。夜でも明かりがつき、車は夜中だろうがお構いなし。0時近くまで走る電車と人通り。その風景を見たとき、大きなことに気づきました。

「自然がほぼない」

人工的な自然がポツポツとあるだけで、ほとんどが資本主義によって作られた人工物だらけ。その風景に、とても違和感を抱き、明確に言葉にできるほど、奇妙な感覚になりました。

「人は、こんな場所に、こんな大きな建物を建てたんだ」

と、一緒に泊まっている友人に話をしました。
それにとても矛盾を感じました。このような社会だからこそ、便利なコトもあり、日本は発展してきました。
お腹が空いたらコンビニやカフェ、スーパーに行けば空腹を満たせます。
退屈だなと思えば、映画館やゲームセンターに行けば楽しめます。
それは「いいこと」という側面もあれば、「よくないこと」という側面もあります。

便利が世の中になっていくことは、資本主義の日本と世界の先進国が資本主義なことを考えれば、当然のことです。
しかし、それに一定の違和感を抱く人たちもいるのではないでしょうか。その1人が私です。

このnoteを書けているのは、MacBookがあるからです。
今の仕事ができているのは、インターネットがあるからです。

しかし、そこに矛盾を感じざるをえないんです。自然が少なくて、息苦しいということと、お金が生み出す不自然さに違和感を抱かざるをえないんです。

便利になったおかげで、人間がやることは減っていっているし、高度なことをしていくようになると思います。AIによって人間の仕事は、どんどん奪われていきます。その流れは当然だと思います。しかし、人本来のやることは変わらないと思うので、そこに個人的に違和感を抱くわけです。

近い将来、この違和感に耐えられなくなり、違う生き方をしているんじゃないかと思うわけです。
とはいえ、どうしていけばいいのかわからないので、もう少しは今の生活を続けるんでしょうね。

楽しみでもあり、早く環境を変えたいと思う今日この頃でした。

唐突に終わってしまいますが、衝動的に書いたので、ご理解ください!
では、またの機会に〜

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