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はじめまして☺

はじめまして、読んでくださりありがとうございます。

今日は改めましての自己紹介です。

現在は育休中ですが、小学校の保健室に勤めています、minihaです。

保健室の先生になりたいと思ったきっかけは、ズバリ

保健室の先生って楽しそう!

と思ったからです、ひねりもなくごめんなさい(汗)

会社員と専業主婦の家庭で育ち、父の転勤に合わせて、幼稚園、小中高と2園2校ずつ通いました。結果色んな先生に出会うこととなりました。

その中には日本人学校やインターナショナルスクール(女子校)、全寮制の中高一貫校も。入ったところを出たのは大学のみ、中学受験も高校受験もしていないというへんてこりんな学歴の人間が出来上がりました。(採用試験は通っておりますーーーー)

マイストーリーの中でこの6つの学校編にはそれはもう嬉しいも苦しいも、悔しいもハッピーも盛り沢山で。今となってはめちゃ楽しかった~なのですが長くなるので機会があれば。(コメントいただけたら嬉しい)

とにかく保健室の先生も日本語、中国語、英語さまざまでした。保健室の先生は正式には養護(ようご)教諭といいます。この職業、日本にしかない。インターでも全寮校でもいらしたのはスクールナースと呼ばれる先生です。

人より少し多めに学校に通えたのかもれないので、学校の形も、課外活動の仕方も、習慣も文化も、先生との距離感も、本当にさまざま経験することができたと思います。両親に感謝。

そうした時間の中で、中学2年生のころ、渡り廊下で

学校(図書室をはじめとする特別教室や体育館などの施設、行事などの組み込まれた活動)って使い倒してなんぼやんね!

各々のエキスパートな先生かて使い倒さな損やん! (言い方www)

(親類は関西人ですが、関西でも関東でも過ごしているし、この時は関東です。どこを地元として話すか面倒なのでとりあえず地球人でいいかなと思っています。転勤族の子どもあるあるですよね?)

何より、自分の身体能力は分析&発揮させてなんぼ!

と当時の小さな頭で思いました。それ、保健室の先生なら出来そうじゃん、色んな人の橋渡ししながら、できそうじゃん!やりたい!やる!

それからも、やってみたいことあれもこれもと出てきましたが、最後まで変わらずあったのが保健室の先生でした。

大学時代にもいわゆる暗黒期はあったけれど、やりたいことは変わらず。

結婚、出産、育児を現在進行形で経験し、今なら産後鬱だったなと分かる。いい母でなければならない病にもしっかり罹ったし、おかげで自分のこと良く分からなくなり、子どもたち大好きなのになぜこんなに苦しいの!!!と。まるで教科書通りの苦しむ母。

それに気づき、修正、進化しながら現場に戻ることができる。

また子どもたちの顔と名前とクラス、担任の先生をみんな覚えて保健室で迎えたり、校内巡回して会いに行くことができる!(もちろん表には見えない事務処理たーくさんで、それはそれは楽しみではないけれど涙)

最後になって少し恥ずかしくなってきてる、そんな保健室の先生です、どうぞお見知りおきください。

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