見出し画像

拳で抵抗できる歳に

21歳になった。

というか、

気付いたらなってた。

の方が表現としてはしっくりくる。

一年前、
「うわ、ついに二十歳じゃんえぐー
・・・・・年確されに行こっ。」
って盛り上がってから365回寝たのか。

あっちゅーまで、それでも色んなことを思い出すと365日という数字に収まらないくらい濃厚な日々でとっても変な感じ。

色んな人と色んな形で関係性を結んで、時に離れて。

そんなことを繰り返しているだけっちゃだけな一年間だったけども。
(それが「人生」なのかなとか言ったら簡略化しすぎだよね定期)

でも、
自分にとっての「人を大切にする仕方」も徐々に学べたし、
自分の思考と世界を表現することの気持ち良さと素敵さも知れたし、
人を心から信じることの暖かさも知れたし、
フィルムカメラの取り方も少しは上達したし、
本もかなり読めたし、
まかない美味しいバイトも見つけたし、
人生に対して能動的に少しはなれたし、

良き一年だったことは間違いないはずである。

ーーー

これからどんな21歳になっていくのだろうか。

これから、どんな1年にしてしまおうか。

去年は色々先延ばしにするのを辞めるという意味で、「もう少し大人になる」ことが目標だったけど、

まさに今日も、招待すら来ていない高校の同窓会の写真たちを横目に、明日締め切りの奨学金の書類をひーひー言いながらやってたからあんまり去年の目標達成の進捗はよろしく無い。

そうやって変に「大人」ぶったり、合理的かつ戦略的に人生を捉えるフリをしたとて、結局人は出来るところまでしか出来ない物体なので、そういう意味で自分に期待しすぎるのはやめようと思いました。

中学の時に出会った、「迷ったら辛い方」って言葉だけ、何かを選択するときの5回に1回くらいのペースで思いだしてconfortzoneから抜け出していく一歩を踏み出したいですね。

ーーー

僕にとっての創造性と純粋さの源として、とても大切に想っている友人とコタツでチルしてる時に、僕は「へっ、こいつ、おもしれー女。」の男ver.であると、表現してもらった。

とっても嬉しかった。

と同時に、これからもそうであり続けたいと心から思った。

それを目指そうかな。

別に何か具体的な定義がある訳じゃないけれど、とにかく色んな意味で「楽しい」ことが出来る・生み出せる・広げられる人間になりたいな。

それはもちろん芝生でのかけっこから始まり、これまでになかった対話の機会を生み出すこともそうだし、いろんな意味での豊かさを創造できる人間でありたい。

ーーー

あっという間に多くの想いと願いと募金が集まる様子をみて、とても力強さと暖かさを感じると共に、ここ数か月間の遠くの海の向こうで起こる虐殺への無関心とのギャップに、ノブナガと腕相撲してた時のゴン君の気持ちを1000倍水で希釈したくらいの気持ち(ここ大事)がうっすら芽生えないでもない、訳でもない今日この頃。

言い過ぎ??あくまでこれの「1000倍希釈」

自分がこの社会に出来る事は何だろうと考えようとするだけで、その規模に押しつぶされそうになる今日この頃。

一年後の僕はこれを読み返す時、日本には居ない訳だけど(手続きの期限をちゃんと守れれば)どんなことを感じるのだろうか。

楽しみだな~と半ば他人事のような感じでこれからも自分の生と付き合っていければ本望です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?