Japan Cup
お疲れ様です、shigeです。
何から書けば良いのか、その位、長い道のりであった気がします。
ミニ四駆に感じる事の一つとして、
手を離すまでに、マシンセッティング、挑む気持ち、その全てを終えて、スタートさせて数秒先の未来を、自分の描いたものにする。
そう思える時があります。
しかし
描いた未来を手にできる人は、本当に一握り、そしてほとんどの人が、悔しさや後悔を胸に秘めて帰路につく、そんな毎日を重ねた先にある、答えの一つに、辿り着けたのかな…
2018年Springで、チャンピオンズクラスに昇格したので、Japan Cupの醍醐味オープンクラスで戦った事は、抽選にも漏れたりで2017の東京大会だけでした。
チャンピオンズを降格になるまで、僕の目標はチャンピオンズJapan Cupファイナルへ進む事、2018はJapan Cup開幕戦の東京で優勝する事が出来て、ファイナルへ、何もかもがはじめての経験の中、シゲイルをモデファイした、安楽選手に負けて2位、自分の中で自分のスタイルマシンに初めて負けたショックと公式チャンピオンズの実力を、まざまざと見せつけられた2018年
そして残留をかけた2019年、各大会の決勝の舞台まで行っても、中々勝てないもどかしさと、このままでは降格の恐怖、そしてJapan Cupの大会も折り返す福井にて、なんとか1勝を勝ち取りファイナルへの切符を、苦しさと残留への安堵で、ひと目も憚らず号泣しました。
そしてJapan Cupファイナル、結果ファイナリストにはなれたけど、co
2019は1勝のみ、だけど公式大会への取り組み方や、シゲイルに依存しない戦い方、気持ちの部分の整理の仕方、色々と学べたと思います。
そして、2020年Japan Cup前になんとか1勝をあげて、残留を決めて挑みたかった中でコロナウイルスの蔓延が始まる。
タミヤさんの判断で中止順延などの処置が始まる前の最後のSpring熊本で、昨年の反省を活かして自分らしい走りを目指して優勝
そして、公式大会大会中止…
ここから、正直、コロナウイルスの蔓延の為にミニ四駆の事は何も出来なくなるくらい色々な事がありました。
対面式の仕事のため、ほとんど仕事がなくなり無収入の日々が続き、支払いだけが積もっていく、そんな中で生徒さんの突然の訃報や、2018Japan Cupファイナルで戦った仲間の訃報、生徒さんのレッスンの激減、そんな先の見えない毎日で、もはや毎日を生きる事だけで、本当に精一杯、ミニ四駆で遠征をしたり行ける範囲の店舗さんでのレースさえも、もう諦めるしかない、ここで終わりかなぁと、気持ちの部分も含めて、ボロボロすぎて色々な皆さんに、ご迷惑もかけてしまったり、それでも、とにかく必死で毎日を生きていました。
そして、自然と今まで何の為に走っていたのかも考えました。
自分が生きているリアリティと喜び、負けて悔しさを噛み締めながらも、もっと上を目指して挑める場所のある喜び、そして楽しさや悔しさを共有できるライバルや友人や知人との繋がり。
どんなスポーツでも仕事でも、真剣に取り組んでいる皆さんが、きっと同じとこに辿り着くような心境になりました。
全てひとりでは出来ない事
また、一つずつ一歩ずつ、はじめていこう。
この気持ちになれるまで、1年
そして、2021年から走りを再開して、レースや自宅での過ごし方など、ミニ四駆へのしまっていた気持ちを解放して走り出しました。
しかし対面式の仕事の為、感染対策の観点も加味しながらの参加、今年初の公式遠征は今月4月2日の静岡大会2、練習走行もしていない中でしたが、ひとりで新幹線に乗り一走の為に、静岡に向かいました。
結果、優勝する事ができてファイナルへの切符を手にする事が出来ました。
嬉しさもありましたが、勝敗よりも、またファイナルで走れる事、タミヤ本社さんのスペクトラムホールに入った時の空気がたまらなく神秘的で、自分の心の栄養になっている気持ちが強かったと思いながら帰宅しました。
そして、NHKさんの沼にハマってきいてみた。
のコースレイアウト作成やマシン作りをしながら、ファイナルへの妄想をしていました。
ファイナリストは
年間チャンピオンシップ優勝のマグやねん選手
2018Japan Cupオープン日本一のカトケン選手
ステチャンand公式制覇のマッキー選手
ステチャン2位2019Japan Cupオープン2位のワタル選手
バッコブ2019の勝者じんのすけ選手
公式レジェンドの山下選手
公式レジェンドのなおち選手
爆速速度のカズー選手
安定感のある走りの金原選手
と、もう誰が勝ってもしょうがないというファイナリストとコース発表も当日なので、考えるのをやめました。
例年なら全ての事をやめて、ファイナルへ集中していましたが、最後の週は、勝つとも負けるとも思わずに過ごそうと思っていたので、名古屋ラオウカップ遠征も含めて、普段通りにすごそうと決めて、沼ハマ、仕事、遠征3レーンマシン準備はしましたが、公式車は何も触りませんでした。
そんな中、ファイナル3日前にまだ発表できないですが、某TV局からファイナルの日に張り付きでの取材依頼が来ました。
関係各所から、ファイナルへ集中出来ない事があれば辞退して良いとの事でしたが、沼ハマさんの時もそうでしたが、まだミニ四駆の楽しさを知らないみなさんに、ミニ四駆へ興味を持って頂ける機会であり、何より多くの皆さんに、ミニ四駆を認知して頂ける機会のお手伝い出来るならと、取材をお受けしました。
そして、名古屋遠征からそのままファイナルへ
名古屋から静岡へ向かう新幹線の中で、某TV局の方と合流して、取材の流れを確認しながら、タミヤ本社へ
外は雨、静岡2と同じような気候、タイヤの選定は行きのタクシーでなんとなく決まり、組み上がるレイアウトを見てブレーキセッティングとモーターの選定も決まりました。
よぎった事と言えば、やらせ無しの本気勝負なので一本目にコースアウトか速度負けで、テレビ的に映えない時はごめんなさい。
が、一瞬よぎりましたが、それはそれと、カメラのレンズ向けられながらセッティング別に気負うことなくいつも通りの作業を済ませて、大会スタート。
抽選にて、対戦相手が決まるのですが、僕は後ろから2番目なので残りものなので、どこでもと思っていましたが、残った2枚の対戦相手が、マグやねん選手とカトケン選手だったので…
心の中で少しだけ、むむむとなりました。
でも、やれる事の全ては終えているので、潔く、そしてコースが走行で温まると速度が伸びるので、速度的にギリギリのセッティングだったので、やるなら早いタイミングのレースの方が良いと思い、残ったカードの右上が2番かなぁーとなんとなく思って、カードをひきました。
番号は2番、第一試合、そしてレースへ
スタートから速度域はイーブン、コーナーの抜けは、まぐやんだったので電圧が残っているうちにサプライズロードの4.5コースのストレートに先に入って逃げ切りたいと、2周目に思いながら見ていました。
結果、まぐやんのアンラッキーなCOも重なり、勝ち上がる事が出来ました。
まぐやん、一緒に戦えてよかったです。
ありがとう。
そして、3度目のファナルヒートのステージへ
燃えすぎず、緊張しすぎず、そして撮影の事は忘れていました。
1コーススタートだったので、電池も交換して何も願わずただ待つ。
2018から数えて、
3度目のファイナルヒートのシグナルが光り
2021年4月24日 日曜日14時31分
僕のマシンが1位でゴールラインを駆け抜けていきました。
タミヤ公式公認競技会のJapan Cupで日本一の称号を頂くことが出来ました。
本当に精一杯やって来た事の、ひとつが実った瞬間になりました。
ありがとうございます。
タミヤさん本当に大変な時期にも関わらず大会を開催していただけた事、感謝です。
そして最後に、例年ならファイナル後にたくさんのレーサーの皆さんと健闘を讃え合うのですが、取材とインタビューの関係で、皆さんとお話しする時間が無くて伝えられなかったこと、
僕が、日本一というタイトルを頂けて、こうやっ走れる事は、チームメイトの皆さん、ファイナリストの皆さんや公式大会で出会える皆さん、3レーンで走られている皆さん、そして、足を運べる店舗さん、ミニ四駆を通じて全国で出逢えた皆さんの存在がある事で、ひとりでは出来ない努力やモチベーションを、もらえた事で頂けたタイトルだと思っています。
また、驕らずに一つ一つ走らせていくので、これからも、よろしくお願い致します。
帰りのタクシーで、なおちくんがエノモトさんにファイナルのプレート届けたいからと言って、持って帰ると豪語した荷物は、本人はほとんど被害なく、ワタルさんの頭上に押し当てられていました。笑
また、某TVの放送確定の時は告知させていただきますので、よろしくお願い致します。
長い活字の内容になりましたが、読んで頂きありがとうございました。
2021.4.27. shige
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