11/3 ちっぽけな持論

学祭(と定演で忙しくなる)前に、ちょっとだけ箏とか邦楽に対する持論を吐きたくなったので。

まず根底にあるのは、私は「聴きたい人に届けばいい」派であるということ。どんな分野にも、「もっといろんな人に知って欲しい」タイプの人と、「分かる仲間と共有できれば満足」タイプの人がいると思う。私は後者。

これには中高時代の経験が大きく影響してるっていう自覚はある。文化祭で人気企画の繋ぎみたいな枠に置かれて、次の企画のために前列に座ってる観客がつまらなさそうな顔をしていたり、講堂で演奏した時には話し声が聞こえたり。ちゃんといい演奏したし皆が知ってるポップスを取り入れたりしてみたけど、大して結果は変わらなかった。大学ではそもそも聴きたい人しか聴きに来ない環境なんだけど、それでもメインステージでやる企画には出ない(スケジュール的に無理なのもあった)。もちろん、全然興味なかったけど聴いて好きになりました!て人がいるから、演奏会自体は好き。ただ、規模や客層を気にするだけ。

そんな感じで、曲も大衆に迎合しないものが好き。単純に技術的な理由もある。ポップで聴きやすいものもいいけど、THE・古典、THE・モダンな曲のほうが弾き応えがあるし、技術が光る。何より合奏が完成したときの達成感がすごい。

プロで活動されてる方たちも、だいたい二分できると思う。「もっといろんな人に知って欲しい」派の方たちがいるからこそ邦楽が廃れずに続いてる。でも「聴いてほしい」が先行して楽器の良さを後回しにしてるのが見え見えな人はちょっと苦手。

で、もやもやしてこれを書いている原因なんですが、先輩たちのスタンスが私の代とは違うなーと思ったことです。

今年の幹部たち(3年生)はやる気がすごくて、コロナの制限がなくなってから来るようになった演奏依頼をたくさん受けて弾きに行ってる。学祭でやる曲も、毎年使い回す曲に拘らず挑戦してるし増やしてる。強制じゃないイベントはできる限り出ない私たちとは違ってすごいなーと思ってた。

でも今日、同期から「他の(2年生曲以外の)曲はカット多いよ」と聞いた。十段ある曲は三段しかやらないらしい。さすがにそれは違くね、て思った。練習期間が1か月ぐらいで短いから、カットが入るのは仕方ない。毎年そうしてきた。けど、最低でも半分はやってた。短い練習期間で曲を詰め込み、他のイベントも受けていたら、そりゃ時間ないでしょ。「もっといろんな人に聴いてほしい」派の幹部で、活発に活動するのはいいけど、それで一つ一つの本番が雑になるのは本末転倒だと思う。

その点に関しては、同期たちは同じテンション感なので来年は上手くやっていけるかな。後輩は先輩と同じでやる気満々タイプだけど。

持論という名の愚痴でした。


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