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間に合うこと

昨日のニュースには言葉を失いました。想うところがあり過ぎて。。
そして(容疑者に対して)親目線で考える自分がいるんです。
産むよりも育てることの大変さ。
ネット社会で健全さを保つことの大切さ。
 
まだ今からでも間に合うことは沢山ある、と言いたい。そんな想いでこの仕事もしているのかも知れない。
一匹の亀を沢山の仲間の亀で支えるこの動画のように。

30年以上前の駆け出しの21歳当時、同じ年頃の男性が私を指名して、静かに穏やかに『僕は将来、人を殺しますか?』と語り出したことがあります。(この話は以前も旧ブログで触れたことがありますが)その時、彼が言葉を発する前から、これまで対峙したことのない、訳の分からない慟哭と絶望を感じたのを今でも思い出します。
 
あの時はまるで、《懺悔》を受け留める覚悟を試されたような感覚でした。同時に、彼は良い師になれると確信しながら対話したのを覚えています。もしかすると、彼は将来、僧侶や神父や牧師になるのかも知れない…と感じたほど。
要するに、人の核心は奥深く、それを開示することが必要な時もあるということです。
 
胸の内を吐き出せる人は、
他人のそれも受け留められる…
ということなのかも知れません。
 
そうやって、何歳になっても立ち止まっては歩み出すのを繰り返すものだと思って、あまり身構えず、独りよがりの自己完結にありがちな決め込み症候群をやめることは大切だと思います。
 
過去に捉われず、
過去にしがみつかないこと。。
 
 
一国を担った方の御霊に向けて心から深く黙祷を捧げます。

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