オレ ニンゲンノコトバ ワカラナイ。

 地球のみなさん、ごきげんよう。ねこです(広義)。朝4時に何してるんだい?

 突然ですが、ぼくってどうも「物事を感情と結び付けて記憶するタイプ」みたいで、例えばスポドリ飲んでスッキリする気持ちと、誰かと話したときスッキリした気持ちと、涼しい風が吹いたときのスッキリした気持ちよさがイコールで繋がる。

だから涼しい風が吹くとそのひとを思い出すし、そのひとを表現するとしたら「スポドリみたいなひとだなあ!」になる。むちゃくちゃである。

 要するに、大雑把に言うと熱いから炎と太陽とストーブは一緒のグループみたいな、めちゃくちゃ解像度が低く動物的な感覚で物事をずいぶんざっくりと捉えているらしい。いやいや他人事じゃないんだけどね、自分でも長らくこの感覚に気付いてなくて、おおっ! と思ったんだ。

 例えば、普通のひとはきっと(ぼくは普通じゃないのでわかりませんが、恐らく)青を見て「冷たい」「涼しい」みたいのをイメージするのかな? って思ってるんだけど、ぼくの場合は(ずっと昔食べた夏限定アイスのパッケージの色だ)→「懐かしい青」とか(ソーダライトの端っこみたい)→「繊細な青」、(ブルーハワイとグレープをグレープ多めに混ぜたときの色)→「冷たくて美味しい青」みたいなことを言い出す。マジカルバナナかよ。

 だからこう、「この人ってシロツメクサとか雪解け水に似てるなあ」とか、「春の妖精とか花冠みたいな絵だ」とか、「この本の読後感はシロップひとつしか入れなかったカフェオレ飲んだときの後味がする」とか表現してしまう。

 ずっと昔……って程でもないが数年前、大好きなひとの絵を「ここの色が薄切りのアメジストみたいで大好きだ」と言ったら大嫌いなひとに「詩人だねwww」と大笑いされたのをずっと根に持っていたんですが、今になって、こういう表現しかできない自分も少し好きになった。いいじゃんね詩人。

 こういうのはひどく動物的・シックスセンス的な感覚だと思っているのですが、そっちを研ぎ澄ましていくと、どうしても反比例してロジカルな分析や文章を組み立てられなくなる。だから、ここの文章の配置でこういった効果を生み出しているんだなあとか、ここに色を置くことでこんな視線誘導がある、みたいのぜんっぜんほんまにサッパリわからん。なんかすごいものは全部「なんかすごい」としか言えん。賢いひとはすごいなぁと思う。

 どっちが正解とか無いし、ぼくは自分の第六感の部分を己の中の何よりも信頼しているし、大好きだ。大好きなんだけど、こういうのってぶっちゃけ人間界では電波とかスピリチュアルの類だと認識されると思うし、実際感想の手紙に「結末がレモネードみたいで、すごい好きです」とか書いてあったら、だいたいの人はハテナマークめちゃくちゃ浮かぶと思う。下手したら頭変なやつから手紙きた怖! と思われかねん(被害妄想)。

 がんばって「ココの色使いがまるでフルーツポンチみたいで、キラキラころころしてて見てるとワクワクしてきます」「ひらがなの柔らかさが童話っぽくて毛布みたいな優しさを感じました」くらい書けば……と思うんだけどもね……いやがんばって広げて解説してもだいぶキビシーな…………と今書いて思いました。改めて、こんなん書きたくねえな〜〜!!

 とまあそんな理由で、上記のような感想をグッと飲み込んで人語に変換しようとすると、小学生の感想文みたいな「色が綺麗」「絵が可愛い」みたいな言葉しか書けなくて、そんなんだって感想が来るとめちゃくちゃ嬉しいの超わかるんだけど、自分の心の感覚と異なるフィルターかけて言葉を紡ぐのはちょっと我慢できなくて、だから感想や手紙を書くのが本当に本当に苦手だ。

 人間界では下の下くらい頭も育ちも悪い最悪の底辺なんだけど、こういう感覚は人間の絞りカスでクソみてーな人生と引き換えだとしても、そう悪くないプレゼントだなと思いたい。

 余談ですが、ぼくの相棒はそういう理論的な思考がめちゃくちゃ上手で、「ここの色使いで印象がまとまるのすげえ」「こういう表現があとの伏線で繋がるトリックになってるの感動する」「線の太さで絵の印象がこうなってる」みたいのポンポン出てきます。すげえ。

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