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幼馴染の訃報が届いた

亡くなったのは日本を出る前から聞いていた。
バイク事故だと思ってた。

今日、自死だと聞いた。

最近のあの人を知ってる訳ではないし、私に何か出来た訳ではない。

でも。

幼き日の表情も仕草も忘れてないよ。覚えてる。
小学校の時の夢も覚えてる。
その夢を叶えようとしてたところも。

もう何年も会ってなかったよ。
でも私の人生の中で出会えた大切な人の一人だよ。

なぜ、を探る気はない。
あの人の「最後の一歩」を踏み出させてしまった力が何なのかなんて、本人以外の誰も想像できるわけがないんだ。

何だったら。
私には何だったら出来るんだ。

何のために私は未だに学生を続けてるんだ。

大切な人をもう失いたくないから、この道に来た。学問の道を歩んできた。
そうじゃなかったのか。

何かを「成し遂げた」と言える時までに、私はあとどれだけの大切な人を失うんだろうか。

あと何回、「結局わたしには何もできない」と泣くんだろうか。

どれだけ絶望しようとも、明日も変わらず朝が来るのが恨めしい。

今はただ、今更だけど、冥福を祈るのみ。

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