【夜ぼやき】二次創作と恋について

※これは8月26日の深夜(早朝)に連投したツイートをほとんどそのままにまとめたものです。

久しぶりに地元の友人と会って酒を飲んで話などした。友人の一人が陰キャオタクから高身長スタイル良しのイケメンにビルドアップしてバイト先の若い女子を狙ってたので悪い大人だと思いました。

久しぶりに恋愛の話などした。自分に話せる恋愛の話などほとんどないのだけど。過去の唸るほどの恋というのも15年も経てばもはや他人事だなぁなどと今更

そして今は自分の恋バナより今の合同誌の原稿の方が気になるというのが正直なところだったわね。優木せつ菜はどうやって恋をするのか、恋に敗れたらどんな風に涙を流すのか、最近そればかりが気になって仕方ないわ

二次創作は究極言えばその作品そのキャラにどこまで向き合えるかの勝負だと思ってる。自分が愛したそのキャラの魅力をどれだけ引き出せるか、どれだけそのキャラの本質に迫れるか。これは本当に作品にしっかり向き合わないと難しい

優れた批評はその作品を読みたくさせる、と大学の頃の先生が言っていたそうだけど、優れた二次創作は原作を読みたくさせる力があると思う。そういう意味で批評と二次創作は似ていると思っている

二次元キャラに恋をするなんてというとすごく批判する人がいるけど、アニメを見て魅力的なキャラがいてそれに恋をするというのは至極真っ当な見方だと思ってる。というより、ある作品のあるキャラを熱烈に好きになったのならその人は既にそのキャラに恋してるんだと思う

キャラに恋をするのは恥ずかしいことか。でも、昔はホームズや金田一に恋をする人がいたし(※よく女性ファンから作者に探偵宛ての手紙が届いたらしい)、古来の恋愛小説だって相手の登場人物に恋をして疑似恋愛するものとしてあったはずである

小林秀雄が恋愛ほど人を近くで見るものはないと言っていたけど、それで言うならキャラに恋をすることほどそのキャラに近づくことはないと思う。そのキャラをどこまでも近くで見て、凝視して、知って、そこから生まれる二次創作はきっと力強いものになる

二次創作する人は、是非題材にするキャラに恋をしてほしい。ほんの一時でもいい、そのキャラに燃えるように恋して、迫って、凝視して、出来た作品はきっといいものになる。多分。

ここで「凝視する」というのは、そのキャラがどういう人間でどういう人格を持っていてどういうことをいつも考えているか、どんな悩みを抱えているか、何を大切にしているか、彼/彼女の何もかもを見るということです。

恋といっても間違えてほしくないのは「〇〇はそんなこと言わない」に代表されるような、自分の勝手な理想のイメージをそのキャラに投影してそれを好きになるのは自己愛であって恋ではないということ

恋は相手を見ることであって相手に理想を投影することではない。恋をしてほしい。そのキャラを恋して、凝視して、そのキャラの裏側まで知ってほしい。そうすれば、自分がそのキャラで何を書きたいかも自ずと分かるはず

こういうことを知っていれば、自分の過去の恋ももう少しマシになったかもしれん。でも15年前なので仕方ない。若いとはそういうことなのだろう

そんなわけでもうちょっと優木せつ菜に恋をしたいと思います。そろそろ時間ない


(※おまけの追記 8月28日の早朝ツイート)

この前、二次創作するならキャラに恋をしろということを言ったけど補足。要するに情念であるということ。わざわざ好きなキャラで新しく創作するということは、恋するのと同じような強い情念であるということを言いたかった

情念をコントロールするのは難しい。上手に抑えなければ明後日の方向に行く。二次創作は自分の情念と原作の間のせめぎ合いで出来ていると思う

キャラを好きになることは恋をすることとよく似ている。恋はしばしば様々な創作へと昇華される。二次創作が生まれるのもだいたい同じ原理だと思う

恋は情念だ。自分は情念で創作したい。熱さは人を動かすからだ。自分もそういうもので動かされて来たように思う

ところでここ最近優木せつ菜のことをずっと考えてるんだがうまく形になっていかない。情念が足りないのかもしくは有り余っているのか

締切もそろそろ近いんだが。夏休みの宿題はいつもギリギリだったなぁ


※締切は間に合いました。


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