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共同婚

今の日本の婚姻制度は一夫一妻制ですが、古代は共同婚(=団体婚)でした。
天皇家や武家は一夫多妻が多い印象なので、明治時代半ばまでは共同婚の名残が各地で残っていたのが興味深いです。
民間では、未婚女子や寡婦に対しては神の名のもとに、あるいは日を決めて性の解放が行われていたというのです。


たとえば、大分県のある集落では8月15日の夜は14歳以上の女子は男子に許さなければならない決まりだったり、鎮守神の祭礼には女子は一晩に三人の男子に許さないといけない決まりがあったそうです。(郷土趣味12号)若い女性はともかく、年をとっていたりすると一人の男子も来ず、寂しく夜が明けるという悲劇もあったとか・・・・。
各地にある「子授け石」「子種石」はこのような性の解放に由来するそうです。
最も有名なのは筑波山神社の歌会(かがい)でしょうか・・・・。筑波山の山頂の鞍部で一年に一度既婚未婚問わず男女が交わるという日が設けられていました。
今では人目をはばかる行為でも、当時は野合は縁結びに通じることから神慮に叶うという迷信があったそうです。
よく”昔は神社のおまつりは男女の出会いの場だった”と聞くのはこういう風習が元になっているのかも知れませんね。

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