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舌れ梵に行った

20年前によく行っていた喫茶店に行って来た。

神戸の元町にある「舌れ梵」。

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20年前、トアウエストに海外のノベリティグッズを置いている面白いお店があって、商品を買わない癖によく通ってた。

最初にお店に入った時、興味深く品物を眺めているとお店のお兄さんが私を眺めながら「文学の香りがしますね」と話しかけてくれて、いろいろ本の話をして、そこから友達に会う感覚でよくそのお店に行った。お兄さんも色々話してくれて楽しい時間を過ごした。そんな中、お兄さんが「昔、接客で悩んでた頃にオーナーに(元町に舌れ梵って喫茶店があるから、そこに行ってみろ。お前に必要なものがある)って言われてね、行ってきたんですよ。そしたらオーナーが言った意味がよくわかったんです。いい店ですよ。吉田さんもぜひ行ってみてください」と地図まで書いてくれて行ったのが、この「舌れ梵」だった。

最初にお店に足を踏み入れた時、とても驚いた。店の前にも中にもあふれる植物。花たちは枯れた花も同等に置かれている。古い喫茶店の独特の匂いがする。小綺麗とはまた違う雑多な中にある美しさのような不思議な店内の中で何となく目に入った丸テーブルに座った。

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テーブルの上にはメニューがない。メニューを持ってくる気配もない。店主であろう60代後半か70代前半の女性に「メニューはありませんか?」と尋ねると「ない」と言われ、「あんたがいつも頼んでるものを頼めばいい」と言われた。

(いつも頼んでるものと言われても…。その店のメニューを見てから決めたいんだけど…)と思い、やはりメニューが見たいと伝えると、店主は少し面倒くさそうにメニューを渡してくれた。悩んだ挙句、その時は確か紅茶を頼んだと思う。店内にはジャズピアノの音楽が流れ、植物の呼吸に呼応するように静かな時間が過ぎていく。常連さんらしいお客さんが多いようだが、大声でしゃべるような人はおらず、それぞれがこの喫茶店の空間を楽しんでいるようだった。

Wedgwoodのカップに注がれた紅茶がテーブルに運ばれ、ゆっくりこの空間を楽しんだ。(お兄さんがここに来て感じたことは何だったんだろう?)と思って店主を観察すると、無駄なことはしゃべらず、愛想は振り向かないが雰囲気がよく、関わるべきところで関わり、必要なことは教えてくれ、自分が美味しいと思ったものを自信を持って出している、そんな感じがした。

2回目に行った時は店主のご主人もお店に立っていた。おしゃべり好きな方のようで、ホットコーヒーとハニートーストがおススメだと教えてくれた。言われるがままにコーヒーとハニートーストを注文すると、それがすごく美味しかった。コーヒーはコクと酸味があるが嫌味はなく後味もいい。ハニートーストはバターと蜂蜜がたっぷり。それから舌れ梵に行く際は、コーヒーとハニートーストを頼むようになった。

何度か行く内に顔も名前も覚えてもらい、店主のことをママさん。ご主人のことをパパさんと呼ぶようになった。そして当時趣味で書いた文章を元新聞記者だったパパさんにお見せしたりしていた。文章を読んでくださったパパさんが、この喫茶店のお話しを文章にまとめたものを郵送で送ってくれたりもした。そんな交流があった舌れ梵。京都に住んだり、西表に行ったりした後、なかなか足が向かなくなった。

舌れ梵のママさんパパさんは元気だろうか?とずっと気になっていた。当時70代っぽかったので、今であれば90代であろう。元町に行った際、何度かお店の前を通ってみたけど夕方以降の時間が多かったからか、店が閉まっていることが多かった。


先日、叔母が元町の病院に緊急入院することになり、近所に住む私が入院に必要な道具をまとめて病院に持って行くことになった。休みの日にゆっくり持ってきてくれたらいいと叔母は言っていたけれど、携帯電話の充電が切れそうだと言っていたから、いろいろ連絡しないといけない場所もあるはずだと思い、早い時間に電車に乗って荷物を渡してきた。荷物を渡すだけで帰るのも寂しかったので、どっか喫茶店に寄ろうと思っていたら、ふと舌れ梵を思い出したのだ。

(午前中だから開いているかもしれない。もしかしたらこのご時世で店が無くなっているかもしれないけど…)

そう思い、少し不安な思いもありながら、舌れ梵があった場所を訪れると「やってます」と書かれた板が立てかけられていた。

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ママさん、パパさんはご健在なんだろうか。代替わりしているのだろか。色々考えながら扉を開けると痩せて当時より腰が曲がったパパさんが立っていた。ママさんもいる。(おー!!!)と心の中で叫んでいたが、表情には出さずにいつも座っていた丸テーブルに腰をかけた。席に着くと驚くことにメニューがあった。しかもファンシーなイラストが描かれている。(あんなに面倒くさそうにメニュー出してたのに、テーブルにメニューがある!)と感慨深かった。

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20年も経っているとさすがに忘れられているだろうと思い、コーヒーとハニートーストを注文した後に、実はここに20年前によく来ていて…という話をしたら喜んでくださり、テーブル近くまでおふたりで来てくださった。「こんな風に昔よく来てましたって言ってくれるお客さんがたくさん居てね、本当に嬉しい」「商売とか儲けではなくて、できることだけで無理なくやってるのよ。早く店も閉めるしね」と店主のママさんはおっしゃった。

店内はほとんど変わってなかった。店の前も店内もあふれる植物。咲いている花も枯れている花も同等にいる。常連らしきお客さんが自分なりに空間を楽しみながらコーヒーを飲んでいる。

当時のようにパパさんがいろいろ話してくれた。毎日コーヒーを飲みに来ていた近所の常連さんが病気になって入院して、もうご飯が食べられなくなった時、病院まで出向いてコーヒーを淹れて渡したらコーヒーを「美味しい」と言って飲み干して「おかわり!」と言ってくれた数日後に亡くなった話。

20年前と変わらない。「舌れ梵」の中にあるドラマを感じながら感動しているパパさん。パパさんが密かに書いていた「元町舌れ梵ものがたり」のままだ。

家に帰ってからファイリングして取っていた「元町舌れ梵ものがたり」を出して読んだ。舌れ梵に集った名もない市井のお客さんの物語。会話の中で感じ取った思い、それを綴っている。その中にはパパさんが経験した阪神大震災の時の神戸の町、第二次世界大戦当時の爆撃を受けた神戸の姿、戦後復興の中でバブルに浮かれて大事なものを失った人の姿、パパさんが見てきたいろんなドラマがある。

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新聞記者時代にスポーツ部だった事があり、社会部の人間に横柄な態度をとられバカにされた時に「お前らなんて、その日の出来事をただ書けばいいだけじゃないか! こっちはそのスポーツをしているくらいの知識と、そのスポーツに感動する心がないと書けないんだ!」と言ったことがあると話してくれたのだけど、スポーツに限らず、きっと人に感動する心が自然とある人なんだろうなと思った。

「元町・舌れ梵ものがたり」の中で、”人と人との出会いの中に、新鮮な人生を楽しみたいーとママさんは言った’という文章が繰り返し書かれている話があった。きっとこれこそがおふたりの神髄なんだろうな。

20年ぶりに訪れた舌れ梵を出る際にパパさんが「お腹いっぱいになったか?」と私に言った一言に、バターと蜂蜜たっぷりのハニートーストに込めた思いを感じる。戦争も震災も潜り抜け、90歳を越えても店に立ち続けているママさんとパパさんの美しさ。お金儲けや商売ではくくれないお店への想い。生きている花も枯れた花も同等に店に飾る、雑多な中に咲き誇る排除のない美しさ。私はこういう美しさが好きだ。

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舌れ梵を紹介してくれたお兄さんも、きっとそういう部分に何かを感じたんだろうなと思った。人との関わり、どういう想いを持って人を見つめているのかとか、そういうおふたりの姿勢が言葉にしなくても心地いいんだと。

また今度、パパさんが書いた「元町・舌れ梵ものがたり」のファイルを持って、コーヒーを飲みに舌れ梵へ行こう。おふたりが元気に店に立っていることが、ただ嬉しい。

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