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母の日

私は今年で28歳になります。

自分の考える「若者から外れるライン」が27歳だと思っていたので、

これで晴れてアラサーの仲間入りです。
これからはおっさん街道を爆進します。

そんな中、世間ではそろそろ母の日。

若者から外れて立派な(?)大人になった節目として、母親のことについて振り返ります。

熱い自分語りですが、母親を通して自分の人生観について振り返ります。
暇つぶし程度にお付き合いください。



私の母親は、私が中学2年生の時に亡くなりました。



私が学校に行っている間に、自宅で自ら命を絶ちました。



私は母親の事が大好きでした。

母親も私のことを愛してくれており、過保護も過保護なほどに大事にされてました。



私は父親の顔を知りません。

父親は、私が生まれる前に家を出て行ってしまっています。


そんな中、私の母親はシンママとして大変な思いをしながらも、私のことを本当に大切にしてくれていました。
不便なく、不自由なく育ててくれて、常に私の味方でした。



私もそれに応える様に、この世には母親以外大切なものはないと思い込むほどに母親の事が大好きでした。

そんな風に、母親がこの世の全てだと思っていた少年時代。



夕暮れ時に学校で部活をしていた私に、家族が訪れてきて一言、

母親が亡くなったことを私に伝えました。



正直、そこからしばらくの間記憶はあまりありません。
ただただ、母親の葬儀が終わるまで、というか終わってからもずっと泣いていたことしか覚えていません。

この世の全てだった母親が突然いなくなり、

母親以外の人間関係が疎かだった私は絶望感に苛まれることしかできませんでした。



母親が亡くなる少し前、当時中学生だった私は、母親が好きだったのは相変わらずでしたが、少し反抗期を出すようになってました。

言い争いが増えたり、母親が男性とうまくいっているのを聞いて態度が悪くなったりと、
(知らん男のものになるのが嫌だったからね)

そして向き合えなかった重要なサイン

少し前から増えていた母親の手首の傷、

母親はパン屋で働いていたので、腕に火傷を負うことはしょっちゅうでした。

しかしそれとは違う、明らかに鋭い傷が増えていた。

それを「母親に限ってそんなことはない」「きっとこれも火傷の跡だ」と

見て見ぬふりをしていました。

もういくら後悔してもどうしようもありません。
そして、思う様になりました。

「ああ、自分のせいなのかな」と。


もう自分は生きていけない、母親がいないまま罪の意識を背負うのは死んでいるのと同じだとすら思うほどに。


母親が亡くなって数日後、再び学校に行きました。

もちろんクラスメイトに母親が亡くなったことは打ち明けられないし、打ち明けたところでどうしようもないと考えていたので、

ずっと塞ぎ込んだままでした。

しかしその日の放課後、当時の担任の先生に廊下で

「鈴村、大変な思いをしたな。いつでも何かあれば言うんだぞ。力になるから。」

と言われました。

正直その先生とはまともに話したことはなく、心の内なんてわからない状態でしたが

その言葉にとても救われました。

この世には母親以外味方がいないと思っていた自分にとって、たとえ社交辞令だったとしても自分を心配してくれている人がいるんだという、


空っぽだった私の心の中に支えができた瞬間でした。今でもその言葉は忘れません。

そして当時通っていた地元の吹奏楽団、

かつては母親もそこに通っていて、家族ぐるみの付き合いだったので、とても心の重いまま顔を出しましたが、

楽団の皆はいつもと何も変わらずに明るいまま、迎えてくれました。

自分にとって「親が亡くなったから既存の人間関係の中で特別扱いされる」ということがとても恐ろしいことだったので、

変わらない関係で私の心の負担を和らげてくれる、そんな優しさを受けとりました。

今思えば、クラスメイトも親御さんづてとかで知らないはずはなかったのに、特別ではなくいつもと変わらない様子で話したり、遊んだりしてくれていました。

そんな人々の優しさを感じているうちに、徐々に絶望の淵から人間らしい心を取り戻すことができました。


後日、母親の遺品整理で遺書が出てきました。

内容は細かくは書きませんが、私を愛してくれたこと、謝罪、これからの人生を応援しているという内容でした。

この手紙の内容だけで自分の罪の意識が消えることはありませんが、最後の最後まで愛を絶やさなかった母親に改めて感謝をしました。

やがて自分はこう思う様になりました

「親になろう」

私は今現在絶賛独身街道を突っ走っていますが、それは置いといて

母親が全てだった私にとって、母親亡き後は周囲の人々全員が「親」でした。

家族はもちろんのこと

学校で言葉をくれた担任の先生も、

いつもと変わらず自分を受け入れてくれる楽団の皆、

仲良い友達や、たとえ仲が悪くても自分にとって必要なものを気づかせてくれた人も、

血が繋がっていようがいまいが、母親が亡くなった後、僕に人生を与えてくれた全員が「親」です。

それを踏まえて、自分も人にとっての何か生きる意味、助けになることができる「親」みたいな大人になれるようにと日々頑張っております。


皆様に伝えたいことは、もし大切な人がいるのなら、特にそれが親御さんだった場合には感謝の気持ちを絶やさないようにしてください。

私は今でも母親のことを度々思い出します。
自分が背負っている罪の意識も、おそらく一生消えることはありません。

「こんなこと聞きたかったな」「謝りたかったな」などと、

話したくても話すこともできませんし、恩を返そうと思っても、もう返すことができません。

ただ、その思いがあるからこそ、周りの人を大切にしたいという気持ちも強くなります。
もう後悔しないように。

なので皆様の周りで大切な人がもし困っていたら、助けられる時に助けてあげてください。

自分に関わる誰しもが、自分の人生にとっての一部であり、親となります。
感謝を忘れないようにしてください。

それらを通じて自分にとっての「親」を大切にし、自分自身もだれかにとっての「親」になることで、後悔のない人生を歩めると信じています。

悔いのない、人生を豊かにする選択をしていきましょう。


以上、親は大切にしようね!

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