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いま、ここを生きる

初めて、note、書きます。

何度、書こうと思っては辞めてを繰り返したことか。僕は、文章を読むことも文章を書くことも苦手だ。(実際、去年の9月くらいから書こうと思ってたが、ようやく実現できたのが今だ。(笑))でも、一歩、前へ。今年はチャレンジの年、とにかくがむしゃらに前へ進もうと思った。

昨年、2020年は色んなことがあった。社会情勢もそうだが、それ以上に僕にとっては変化の多い一年だった。そんな一年だったからこそ、“立ち止まって、考える”良い機会となった。

…さぁ、書こう。目次は何にしよう。そうすると自然と僕のタイピングをしている手は止まり、頭で考える。

みね①)何を書く?何が書きたい?どう書くとみんなに共感してもらえる?

みね②)いや、そうじゃないんやって。苦手な読書して、本にも書いてあったやろ?他者の反応なんてどうでもいいんやって。他者の反応なんてこっちじゃコントロールできんのやから、課題の分離やで。

みね①)んじゃ、なんで書くんやろ?

みね②)とりあえず、自分の備忘録的に書けば良いんじゃない?+αで、それを読んでくれた人がそういう人もいるんやって思ってもらったり、みね自身のことを知ってもらえるといいんじゃない?

みね①)そっか、そうしよう。とりあえず、備忘録的に書いてみよう。

ーーこんな感じで僕の中の小みね達が対話してる。でも、発信しよう!と意気込むとこんな僕に何が発信できるんだ、他者に何かをgive出来るようなものは書けないと、手が止まってしまう。なので、まずは自分の想いを文字に起こしその時の想いを綴っていこうと思う。

なので、もし読んでくださる方がもしいるとするならば、温かい目で読んで頂けるとありがたい。

「いま、ここを生きる」

なんか、大袈裟なワードだけど、これが僕に最近1番刺さった言葉だった。

私は昨年の2月、約6年弱勤めた会社を退職した。良いことも、嫌なことも沢山経験させてもらった大好きな会社だった。6年も勤めたのだから、そこに楽しみややりがいを感じて働いていた。なんと言っても、自分の大好きな釣り具を設計できたのだ。

周りからは「楽しそうな仕事だね」、釣り好きからは「なにそれ、仕事?めっちゃいいやん」とよく言われた。僕自身も、3年目くらいまでは感動、やりがいに満ち溢れ、すごく充実感を感じながら働いていた。自分が設計開発した製品をお客さんが手にとり、それをキラキラした目でみている。こんなやりがいある仕事、他でできる?最高やん。そんなことさえ、思っていた。

そうやって月日が過流れ、4年目、5年目。仕事も一人前にこなせるようになり、やれることも増えていった。ただ、月日が経つにつれて僕の中に“違和感”が増えていった。それはすごくぼんやりしたもので、何が原因か分からなかった。

さらに月日が流れ、6年目。僕は会社を辞めた。

その当時辞めた理由は
・自分の生まれ育ったような自然の多い場所で働きたい
・仕事とプライベートの線をはっきりさせて、もっとプライベート(家族との時間)を充実させたい
・もう少し、人に近いところで仕事をしてみたい(圧倒的にパソコンと向き合う時間が多かった為)

こんな理由で辞めた。もちろん、会社のネガなところもあったが、ネガな理由よりも自分の生活スタイルが変わってそれに合わせて新しい環境での仕事にチャレンジしたいと思ったからだった。

それから、さらに月日が流れ、POOLOというコミュニティに入り、さまざまな人や業種の人とお話しする機会があった。そこで感じたことがある。

それは、「みんな、めっちゃ仕事楽しそう」だった。

いやいや、自分も仕事めっちゃ楽しんでたやん?そうだけども…。ただ…なんかちがう…?その時だ。当時、感じていた“違和感”が思い出された。その違和感の正体はなんだったのだろう…

答えは

「いま、ここを生きる」

ことだったのではないかと今になって思う。(その当時は微塵も思っていない。このPOOLOというコミュニティに入れたからこそ気づけたことだった)POOLOにいる人たちはいま、ここを生きている感じがする。

何が言いたいかというと、私は6年間トータルで見るとやりがいも感じれたし、達成感もあり満足感があった。しかし、それは退職して過去を振り返った時そう思うのだ。6年間のうちのどこか一部分の1分を切り取ったとき、そこにやりがいを感じれていたか?6年間の878,400分(6年を分で換算した)のうち何分をやりがいを感じて働けていたのか?そう考えると、圧倒的に少ない時間になる気がする。

僕がやりがいを感じて働けていると感じる瞬間は自分自身が能動的にものごとをしている時だと思う。はたして、その時間がどれだけあったか…?それが答えだと感じた。もちろん、能動的に働くに関しては自分自身のマインド、考え方というソフトの面が一番大事だと思うが、環境面などのハードの面もあるとは思う。(ハードの面ばかりを言い訳にすることはよくないと思うが)

そして、思うのだ。僕は未来を言い訳にして、いま、ここを生きることにフォーカスできていなかったのではないかと。もちろん、今の現代、未来を全く見ないわけにはいけないと思う。未来のためにいまを頑張ることも否定しない。ただ、未来のために今を”犠牲”にすることは違うのではないかと。

もちろん、なかなかそれを100%にして行くことは難しいと感じる。でも、100%に近づけて行くことはできるんじゃないかなと思う。ちょっとずつ、そういうありたい自分の姿になりたいと思う。

まだ、どうすれば、そのありたい姿に近づけるか具体的な答えはわかっていない。でも、一つこれが大事なんじゃないかな?と思うのは、いろんなことに体当たりして自分がありたい姿を積み重ねていくことだと思う。良い歳したおっさんになり、なかなか新しいことにチャレンジして行くのは正直怖さもある。

でも、僕はありたい姿に近づくためにもがき続けようと思う。

※写真は学生時代イースター島に釣りしに行った時の写真です


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