悲しいことが多すぎる
ここ最近、悲しいことが多過ぎて、生きることの意味とか仕事とか時間とか、取り留めのないことばかり考えてしまう。パンデミックの影響は飲食業界だけではなく、ショービジネスやアパレル業界を直撃した。リストラにあった人や、舞台が延期なり、収入が激減した人も少なくはなかった。まだ心の整理はついてないが、前に書いた記事以後に2人の友人と祖母が亡くなった。2022年12月5日はディレクトリー(僕の会社)の15周年で、この日をどう迎えるか、1年前から計画を立てていて、晴れやかな気分で家族や社員だけで小さな祝いの行事をしたいと思っていた。
15年間、お客様や社員のみんな、家族や友達のおかげで僕は楽しく会社を経営させてもらっている。
悲しいことが多すぎることを親父に伝えた。悲しいことも楽しいことも続くことが多い。そんな時期なんだろうと言われたが、こんなことは決して続いてほしくない。気がつけば、いろんな言葉が嫌いになった。楽しく過ごした思い出の反動が悲しさと比例する。
悩んでいることがあれば、必ず誰かに相談してほしい。その誰かが解決策を持っていなくても、その周りには沢山の人がいる。ひとりで考え込まないで欲しい。誰かのことで傷つく人に、そっと寄り添える人が必ずいる。幸せじゃないと思う時間と、幸せだと実感する時間は確かにある。幸せは人それぞれ違うし、定義づけすることはできないけど、考え続け、ひとつだけ明確になったことがある。
幸せじゃない時間は誰にだってある。なんてことのない時間、無駄かもしれない時間。楽しい時間。いろんな時間を過ごして生きてる。嫌だなと思う瞬間、時間。その反対は、嫌じゃない瞬間と時間だということ。嫌じゃない時間は、たぶん幸せなんだと思う。人は誰かと比べて幸せだとか不幸だとか考えてしまう。それはあまりに残酷だ。嫌な時間は誰にだってある。人と比べるなと言われ、そうだなと思っても、心のどこかで必ず比較してる気がする。ビジネスの世界はマーケティングという言葉通り、競争社会の中で勝つこと、結果を出しつづけることにこだわるのは至極当然のこと。ただ、人生という尺度で幸せを考えた時、結果でなく、幸せを感じる能力こそ宝物だ。
12月5日が近づき、小さな会社の経営者として、15周年という節目の言葉を残そうと思ったけど、それは自分の節目であって、ただそれだけの時間が経っただけのこと。本当に皆様のお陰で、感謝の想いしかなく、これからも必要としていただけるよう尽力することで役に立てれば幸いで、それ以上でもそれ以下でもなく、これからも生かされていることに感謝しながら日々を大切に過ごしたいと思います。
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