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伝説のストリップ・ピンク女優大会(後編)

2024年(令和6年) 5月16日に本編の原案、アドバイスなどでご協力下さいました。
「久保新二」さんが逝去いたしました。
謹んでご冥福をお祈りします。

追悼の意味も込めて「ストリップ・ピンク女優大会(後編)」を掲載公開いさせて頂きます。

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【 あらまし⠀】

ピンク映画の取材活動をして行く上で、活字媒体の掲載が、ほぼ皆無と言っていいネタに遭遇したそれは!!
成人映画(ピンク映画)に出演の経験の有る女優だけで、行うストリップ興行大会である。

近年、そんな興行を最後まで行っていたのは、
「ポルノの帝王」こと「久保新二」御大と、
途中から参加したライターでも有る「石動三六」氏である。
石動氏に、その貴重な興行体験を述懐しコラムにして頂きまして発表してます。

【 ストリップ劇場でのピンク女優大会 】石動三六

ーーーーーーーーーーー後編ーーーーーーーーーーー

TSミュージックでの好評に気を良くしたのか、
久保新二自身が久々に劇場で芝居を演じてみよう、という気になってくれた。場所は岐阜のまさご座。同年12月の十日間興行で、演目は久保新二自ら台本を書いて吉蔵を演じる『阿部定』。まさご座は元々大衆演劇の小屋で、舞台も広く、動きを追えるピンスポットもあった。また、当時の社長が久保新二と親しく、費用度外視で阿部定事件が起きた昭和初期の書割(背景)を用意してくれた。至れり尽くせりの待遇である。

ただ、女優の人選は難航した。岐阜に十日間泊まり込みなので、日替わり出演というわけにはいかない。参加する女優はその間撮影などを入れられないのである。このときは「里見瑤子一座公演」という名称で、阿部定を演じる里見瑤子は当然参加が決まっていた。劇場との契約上、女優は全部で四人必要。当時のピンク女優大会のレギュラーだった麻生みゅうは出演を快諾してくれた。何度がゲストで出ていた酒井あずさもOK。だが、最後の一人がなかなか決まらない。

何人も交渉した結果、舞台に興味を持っていた華沢レモンが、前半五日間なら…という条件で参加を考えてくれた。途中で出演者が入れ替わると交通費が余分にかかってしまうが、この状況では仕方がない。後半五日間の出演者を必死で探し、AVをメインに活躍していた某女優が、「事務所に内緒で変名なら」という裏技を使って参加してくれることになった。
今だから書けるが、ハラハラドキドキ綱渡りのキャスティングである。

久保新二は準備もあるので数日前にまさご座乗り込み。私が公演前日に女優四人を岐阜まで引率することになった。これはかなりの重労働だったが(笑)、なんとか新幹線で名古屋→在来線で岐阜→タクシーでまさご座に到着できた。岐阜のタクシーは「まさご座」だけで通じる。いや、タクシーだけではない。岐阜市民はみんなまさご座を知っている。それくらい地域に浸透したストリップ劇場なのである。

このときももちろん一日四回公演。乗り込み前に久保新二から「『阿部定』は一日二回しかやらないから、他の出し物を考えておけ」と言われ、慌てて新しい演目を作った。『阿部定』で力を使い果たすであろう里見瑤子が少しでも楽できるよう、台詞のほとんどない『縄天使』という芝居。曲を20分程度つなげておき、その曲調に合わせて演技をしていく。華沢レモンや私も少しだけ出演し、最後は里見瑤子と麻生みゅうのレズシーン。地元のお客さんへのサービスとして、途中で里見瑤子に「柳ヶ瀬ブルース」を唄ってもらった。この芝居を一日二回。奇数回が『阿部定』で、偶数回が『縄天使』。まるでストリッパーの演目のような公演となった。

芝居の前はお客さんを舞台に上げてのゲームコーナー。野球拳が楽しかった。お客さんと女優がガチで対決。もちろんルール通り、じゃんけんに負けたほうが服を一枚脱いでいく。パンティ一枚になった女優が負けると客席に背を向けてそれを脱ぎ、勝ったお客さんだけがその周りをぐるりと回って裸を見られる。お客さんはパンツ一枚でじゃんけんに負けたらそこで終了。だが、油断している隙に、女優や久保新二がパンツを降ろしてしまうこともある。キツい洒落である(笑)
話を芝居に戻すが、まさご座で上演した久保新二と里見瑤子の『阿部定』は日に日に完成度を高めていった。私は投光(=照明)室から音出しの手伝いをしながら舞台を観ていたのだが、楽日に近づくにつれて二人の息が合い、涙なしには見られないクライマックスシーンになった。残念ながらそのときの映像は残っていないのだが、一期一会が舞台の醍醐味。劇場で鑑賞したお客さんの記憶に残っていれば嬉しく思う。

12月の岐阜はとにかく寒かった。女優陣は座長・里見瑤子が個室、他の三人が大部屋だったが、そこには炬燵があり、全員潜り込んで出てこない。昼食は劇場で取り寄せてくれる弁当を食べていたから、楽屋だけで一日過ごせてしまう。せいぜい近所のコンビニへ買い物に行く程度。ただ、終演後は劇場に風呂がないため(シャワーはある)、みんなで銭湯に出かけた。そのあとはだいたい柳ヶ瀬の街で酒。朝は早く起きて、喫茶店のモーニングを食べ歩く。当時は街の喫茶店が数多く残っていて、毎日のように違う店へ入り、小倉トーストや茶碗蒸しという岐阜ならではのモーニングを楽しむことができた。これも貴重な体験である。

まさご座での十日間を終え、翌日からはTSミュージックに出演。ストリップ用語でいうところの「連投」となった。早朝に起床し、東京へ戻り、新宿の劇場へと乗り込む。そのまま公演。ここでは諸事情により『阿部定』はやらず、ほぼ毎回『縄天使』になったが、久保新二と女優でコントを演じることもあった。「AVとピンク映画の喘ぎ方の違い」などすべてアドリブだが、これはお客さんに受けていた。お客さんのノリがいいと、我々のショーはどうしても時間が伸びてしまう。そういうときは次の出番の踊り子さんに謝っていたのだが、とても感じのよい方で助かった。あれから20年経った今でも元気に踊っているkuuちゃんには、このとき大変お世話になっている。

新宿ではピンク映画関係者やファンが大勢来場してくれた。久保新二の知り合いの芸人さんや歌い手さんも遊びに来てくれたが、皆さん否応なしに舞台に上げられ、ネタや歌を披露することになった。法律漫談のミスター梅介さんを初め皆々様、ありがとうございました。

岐阜まさご座→新宿TSミュージックと続いた04年12月以降、ストリップ劇場でピンク女優のショーは行われていない。冒頭で書いたように、AV女優が事務所を通してピンク映画やストリップに出演している現状では、この手のショーは実現不可能であろう。残念だがこれも時代の流れ。そのラストに関わることができたのは良き思い出であり、自分にとっての財産でもある。どこかの小劇場を借りてショーを再現してみたい思いはあるが、ストリップ劇場特有の猥雑な雰囲気を出せるかどうか、それを考えると二の足を踏んでしまう。これは記憶の片隅に留めておくだけのほうが良いのだろう。今のストリップの華やかさとは相容れない世界なのだから。

ーーーーーーーーーーー【終】ーーーーーーーーーー

本編(前後編)は同人誌に掲載販売致します、よろしくお願いします。

※本文のコピー、転写、引用、掲載写真の転用や利用は固くお断り申し上げます。

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