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漂える風呂/吐息と心音

目が覚めてすぐ、風呂に入ろうと思った。起きたらすっきりしてるかなと思っていた頭痛が、まだそこにあったからだ。

細長く白い浴槽に熱めの湯を貯め、腰まである髪を解き、足先からゆっくりと入る。熱すぎるのはダメだ。だけど今朝は熱めじゃないとだめだ。そういう気がしていた。

指先から、皮膚の表面からじわじわと侵食する熱の心地よさ。湯が触れる箇所から軽い痛みにも似た感覚が拡がる。肌が湯の熱さに馴染みだした頃、後ろに背を倒し頭を湯に浮かべた。

腰まで伸びる髪はゆらゆらと揺れ、背中を、肩を、喉の回りをくすぐる。湯の中で無重力の神経を漂わせ、背負っていたであろう一切の重みを湯の中で放ちながら。

力を抜くと耳のちょうど上まで湯に沈んだ。湯に包まれた耳に響くのは、すー、はー、とダースベーダーのような音の自らの呼気と、心音。

どく、どく、どく、どく、すー、はー、どく、どく

胎児はこういう音に浮かんでいるんだろうな、と思った。そして風呂は。風呂はたぶん、再生だ。胎児期に浮かぶ羊水の疑似体験だ。我々は風呂に入る度に、新しい自分を再生するのだろう。

浮かんでいた湯はぬるくなり、私は風呂をでた。この後、湯に浸かりすぎた私は蕁麻疹に襲われるのである。