鉄道唱歌 東海道編 歌詞解説と意味

  1. 汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり
    愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として

<解 釈> 大きな汽笛を鳴らして、私が乗った汽車は早くも新橋駅を離れてしまった。車窓には愛宕の山に沈みかかった月が見えており、よき旅路の友となっている。


< 注 >

新橋:鉄道唱歌ができた明治33(1900)年当時、東海道線の起点は新橋駅であった。新橋駅は明治5(1872)年の新橋~横浜間鉄道開通に合わせて開業し、長年にわたり東海道本線の起点として機能したが、大正3(1914)年に東京駅が開業するとその座を譲り、以後は汐留貨物駅として昭和61(1986)年まで存続した。
 開業当時の駅舎は大正12(1923)年の関東大震災で焼失したが、平成に入って周辺一帯の再開発に伴う発掘調査で遺構が出土し、平成8(1996)年に「旧新橋停車場跡」として国史跡に指定された。現在は駅舎が復元され、「旧新橋停車場鉄道歴史展示室」となっている。
 現在の新橋駅は、東京駅開業に際して烏森駅を改称したもので、鉄道唱歌に歌われる新橋駅とは別の駅である。烏森駅は、明治42(1909)年の山手線(田端~池袋及び品川~赤羽間)電化に合わせて東海道本線に電車専用支線(品川~烏森間)が敷設されたのに始まる駅で、当初は上野~新宿~品川~烏森間に電車が運転された。この烏森支線(東京駅開業に伴い本線となる)はその後順次上野へ向けて延伸され、現在のような環状運転が始まったのは大正14(1925)年のことである。

愛宕の山:東京都港区愛宕にある丘陵「愛宕山」を指す。標高25.7m。東京23区内にある自然の山としては最高峰であり、当時は東京の大部分から望むことができるランドマークであった。
 江戸幕府が開かれた慶長8(1603)年に、初代将軍徳川家康の命により、江戸市中の防火を司る神として「愛宕神社」が祀られた。

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