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電話ボックス からの。

「電話ボックス」で、お話したとおりに私は20歳そこそこで人生初めて猫を拾って、連続して2匹目もゲットしたわけだ。猫のこともあらかた考えることもなく、性格とか相性とか伝染病がどうとか全く考えることもせず知識もなく、今考えると恐ろしさ100倍だけども、それでも家族を増やしてしまった。

拾ったグレーのブチのしゅうはとても美しい猫だった。手のひらサイズで彷徨っていて、よくもまあ車に轢かれなかったと思った。これはもう私が引き取る運命なんだと確信した。最初は部屋にダンボールを持ち込んでこっそり飼っていた。父親がバリバリ厳しい人だったし、昔、猫で失敗してる(私に猫アレルギーが出たので人にあげてしまったのだ。それがトラウマになっていたのだろうよきっと。)ので、猫を飼うことは心の底から反対するだろうと思ったからだ。
とりあえず、母にだけは伝えた。私の責任で拾って来たからにはご飯も病院も全部私が持つから!という約束で、こっそり大きな段ボールで育てた。

ちなみにこの時点で私の猫アレルギーは治っていなかったけれど、薬で抑えられる程度のレベルだったので病院に通うことにした。薬を飲まなければアレルギーは出てしまうけれど、まぁなんとか我慢できる程度だ。

途中、記憶が有耶無耶になっているが、なんとなく父も断念というか諦めたというかで、しゅうは家族になった。

1歳になる前、具合が悪くなったしゅうを動物病院に連れて行くと、猫白血病と言われた。多分、遺伝かなと先生談。ふっくらと大きくなってきて美しさも増して来たしゅうが、だんだんと小さく痩せ細っていく。タオルに包んで病院に行き、点滴をするという生活が何日も続いた。当時付き合っていた彼氏の車で病院に向かったとき、エンジン音に驚いて(アバルトのアウトビアンキに乗ってた。彼氏の弟の車で、それはもう可愛い車だったけど、あのエンジン音のうるささはピカイチであった)失禁してしまった。タオルが暖かくなるあの感触は、30年近く経つ今でも忘れられない。

私はもともと、学生の頃からピアノの先生をしていたんだけど、その日も夕方から仕事だった。夜、帰宅するとしゅうは硬くなっていた。
仕事中に亡くなってしまった。晩酌中の父が看取ってくれたのだ。

お前に死に姿を見せたくなかったんだろ。
眠るように亡くなったぞ。よかったな。

涙は止まらなかったけれど、飼うことを許してくれた父と家族、看取ってくれたこと、しゅうがこの家の家族になれたこと、全てに感謝した。生きてることにも感謝。

時々、しゅうのことは今でも思い出す。会いたいなとも思う。そんな時は新しく家族になったハチワレしゅうさん(珠雨と書いてしゅうと詠むそうな)を抱きしめる。嫌がるけど抱きしめる。なんとなくの温もりを伝わって、30年前のしゅうの思い出を思い返すことができる幸せ。

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