第192回往復書簡 イタリア、沖縄、東北、8時48分
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
けさから、イタリアの塩になった。
いつも、いろいろなところの塩を、ちいさい袋で買う。きのうまでは、沖縄の塩だった。
沖縄には、なんどか出かけたことがある。朝の目玉焼きに、沖縄の塩。食べているあいだ、旅の時間をたどっていた。
イタリアの塩は、粒がおおきくて、0・5グラムの小さじですくうと、数えられるほど。目玉焼きとピーマンに、ぱらぱら落とす。食べはじめると、ときおり、がりり。それから、しょっぱい。
イタリアは、三十路なかばにさしかかるころ、ローマ・フィレンツェ一週間、完全なパッケージ・ツアー。冬の旅だった。はじめての、ヨーロッパだった。
実家で、冷蔵庫を買い替えた。電気やさんの福引を母がひいたら、安く行けるギフト券があたった。旅費は、出してあげる。お友だちのぶんも、安くなるから、だれか誘えばいい。ツアーで安心だから、行ってみれば。
お父さんとお母さん、ふたりで行けばいいのに。そういったら、おばあちゃんをおいて、1週間も出られない。母は、そういった。
父と母は、旅費を出してくれたうえに、お餞別まで、現金書留で送ってくれた。ありがとうございます。泣きながら、電話をかけた。
成田空港に集まったひとたちは、話す声から、どうやらみんな、東北のひと。電気やさんはチェーン店だから、いろんな支店でくじを引いたひとたちだったのかもしれない。みなさん、両親と同世代の、おっとりゆったりしたご夫婦だった。大学のときに、バンドでいっしょだった友だちとふたり、うちの娘とおなじとしだねといわれて、親切にしてくださった。
イタリアで、海を見た記憶はない。移動は、みんなバスだった。ガイドさんのあとについて、名所をめぐった。ローマの休日のとおりだねえ。友だちも、のんびり楽しんでいた。
食後にすこし、自由行動があった。ガイドブックをみて、いろんなブティックをのぞいてみたけど、物価も、消費税も高かった。脳内でしきりに計算をして、会社のみなさんに、ささやかなお土産を選ぶのがやっとだった。
一日を終えて、解散となったら、ホテルのとなりの、巨大なスーパーマーケットに行った。遅くまでやっていて、お水やワイン、文房具や、エコバッグや、チョコレートを買った。
友だちは、旅慣れていて、おみやげ選びがじょうずだった。麻のキッチンクロスや、エプロン、くまのぬいぐるみを、おそろいで買った。
その友だちは、いまではお母さん。お子さんも、学校を出られていると思うから、子育ても終えているのかな。巣ごもりのまえは、バンドの仲間で、年にいちど集まっていたけど、3年はごぶさたしているなあ。
目玉焼きを食べてしまうまで、そんなことをめぐらせた。
ごちそうさまでした。
立ちあがって、カレンダーを見る。お盆をはずして、帰省する。
そのまえに、病院でMRIの検査、それからオンラインでの会議がふたつ。そして、兄の還暦のお祝いの会食。心配ごとのさきに、家族との時間がある。
きっと、帰省の朝は、ばたばたと飛行機に乗って、空港が近づけば、東北の深いあおい海が見える。
東京にもどってくるときは、地元の塩を買ってくると決めた。
イタリアのあら塩ぱらり蝉の声 金町
(8月11日金曜日)
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