第107回往復書簡 足立山(日記と手紙)
牧野伊三夫 → 石田千さんへ
ハルカ君と門司港へ飲みにいく
先月末に小倉に帰省した日、ちょうど音楽家のハルカ君が仕事で福岡にいるというので、一緒に門司港へ遊びにいった。ここには僕の行きつけの鮨屋とやきとり屋があって、そこへ向かうつもりであったが、そのまえにきく湯につかった。彼も僕も銭湯が大好きなのだ。
小倉から門司港行きの電車に乗ると、左手に関門海峡が見える。ハルカ君に対岸の島のように見えるところは本州の端、下関の町だと教えると、こんなに近いのかと驚いていた。青森育ちの彼は津軽海峡と比べて、あまりにも狭いと思ったのだろう。手をのばせば届くよと言ったら、おかしそうに笑っていた。その狭い海峡に外国籍の大型貨物船や潜水艦などが行き来するのがすぐそばで見られるのは、この海峡ならではの景色だ。
関門海峡には、自動車用のトンネル、鉄道の在来線と新幹線のトンネル、それから人道の四つのトンネルがある。人道のトンネルはあまり知られておらず、九州から本州まで歩いて行くことができる。途中に県境を示す線が引かれているのをまたぐが、またいだところで何も変化はおきない。ただの海底の道である。かつて源平の合戦がが行われた場所にある和布刈神社へも案内して、そこを歩いてみたかったが、もう夕方だったのでお風呂と酒へとまっすぐに向かった。
お湯につかって旅の疲れを癒すと、お互いにちょっと陽気になった。そして鮨屋へ行って飲み始める。そろそろフグのうまい季節で、それやら関門の地ダコやらを握ってもらって燗酒を飲んだが、僕も久しぶりの門司港であったし、偶然にもお互い九州に居合わせたこともうれしくて、ついつい酒のおかわりが早くなる。いつしかずいぶん酔っぱらってしまったが、そのあと小倉へ戻って、バーやおでんの屋台で飲み足した。そして最後は新旦過の路地の小さな店で、ギネスをそそいだグラスお供え物のようにテーブルの上に置いて眠りこけていた。ここがこの日の終着駅。案内する側が先に酔ってしまうとは情けないことだが、やけに愉しくなって夜を終わらせたくなかったのである。
(12月13日月曜日)
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